〇〇さんみたいになりたいは実は危険?
そう思うことってありますか?
私はよくある。
誰かに憧れを持つことは、自分のモチベーションにもなるし、ゴールが描きやすいし、それに人のいいところを見つけられる素質があるってことだし、とっても素敵なことだと思う。
ただ、闇雲に憧れるのは危険だなと思っていて。
だって、どれだけ憧れの人であったとしても自分ではないから。憧れの人の心地よさと自分の心地よさは違う。
一緒の部分もあるかもしれないけれど、あくまでも他人なのだ。
例えば、あるインフルエンサーな夫婦がいて、その人たちは土日にはたくさんお出かけをして、たくさんおしゃれなものを身につけて、おしゃれな写真を撮ってUPしてる。
それに対して、素敵だな〜私もこうなりたいな〜と思う人は多いと思うし、私も実際にその1人だし、そう思うこと自体は全然いいと思う。
でもそこで大事にしたいのは、
「じゃあ私の願いはなに?私の心地よさってなに?」
ってところ。
私の願いや心地よさは、もしかしたら土日は旦那さんと家でゆっくり過ごすことかもしれない。もしかしたらダル着で散歩してるときに幸せを感じるのかもしれない。おしゃれな写真を撮ってUPするより目の前の景色や目の前の幸福を自分の目で味わうことが心地いいのかもしれない。
これは別に例に出したインフルエンサー夫婦を否定しているわけでもなく、「けっ!お前らは幸せでいいな!」と拗ねているわけでもなく。笑
人の幸せの形や心地よさは、人によって全然違うんだよということ。
起業するのが合っている人もいるかもしれない。
会社勤めするのが合っている人もいるかもしれない。
結婚しても子供はつくらず2人の時間を大事にしたい人もいるかもしれない。
結婚せず、1人で自由な時間を大事にしたい人もいるかもしれない。
同じ夫婦一つとっても、ラブラブで愛情表現をたくさんするのが心地いい人たちや干渉しあわず適度な距離を保っているのが心地いい人もいる。
その人によって、そしてその時々によって、願いや心地よさというのは変わっていくのだ。
だから、常に自分に問いかけたい。
「じゃあ私の願いはなに?私の心地よさってなに?」って。
”私はどうせこんなもんだから”と変に自分を下げず、”人によく見られたいから”と変に自分のハードルを上げず、ただ、真っ直ぐに自分がどう願うのか。何を心地いいと感じるのか。
そうやって自分研究を重ねて、どんどん自分好みの世界を作っていけたら幸せだなあと思う。
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