瞑想で、わたしにとって悪だった”ぼーっとする”を訓練して得たもの
子どもの頃から”ぼーっとする”という経験が全くなかった
中学生のとき、部活の後輩からこんな質問をされたことがある。
「石神さんて、ぼーっとすることとかあるんですか?」
わたしは驚いてこう答えた。
「え、逆にぼーっとするときがあるの?」
当時のわたしにとって、”ぼーっとする”という言葉は自分の辞書になかった。
そう聞かれるまでの間、「このときぼーっとしていたな」と思う瞬間を一度も味わったことがなく、まさか、定期的にぼーっとしている人がこんなに身近にいるんだと思ってかなりびっくりした。
でも、他の人たちにも聞くと、みんなけっこう”ぼーっとする”時間があるようで、わたしのように”ぼーっとする”時間がない人間のほうが稀であるということをこのとき初めて知った。
でも、当時、自他ともに認める優等生だったわたしは、そんな自分を誇りに思っていた。
ぼーっとする時間=何もしていない時間=時間の無駄遣いという感覚だったので、時間を無駄に使うこともなくやるべきことをやっている自分は、なんと素晴らしい人間なのだと思っていた。
でも、社会人になって12年経ったタイミングで仕事で体調を崩し、キャリアブレイクにいたり、この”ぼーっとする”というスキル(もはやスキルだ)がどんなに人間にとって大事だったのかを知ることになる。
これに気づいたのは、瞑想を始め、その良さを自覚できるようになったつい最近のことだ。
わたしと瞑想
瞑想は、やることとしては、①姿勢よく座り、②頭をからっぽにし、③呼吸に集中する、というものだ。
瞑想中は、湧き上がってくる様々な感情をただ見つめて、取り合わないようにすることが大事である。
つまり、”ぼーっとする”時間を意識的に作るということとわたしは理解した。
始めたばかりのときはよくわからなかった。
というか、全然うまくできなかった。
それもそのはず、"ぼーっとする"という概念を持たずに30年以上過ごしてきたのだ。
最初は、瞑想中は様々なことをぐるぐる考えまくって時間がすぎ、結局なんの時間だこれ?となることがほとんどだった。
しかし、毎日続けていくなかで、だんだんコツを掴み「あれ、いま頭空っぽだったよね?なんかスッキリしている気がする!」と思えるようになり、次第に「これが瞑想の効果だな」と自覚できることも増えてきている。
わたしが感じた瞑想の効果の中で一番良かったのは、オンオフの切り替えが上手になったことである。
本当の意味での”オンオフの切り替え”
瞑想を始めてから、これまで、わたしは仕事とプライベートのオンオフや、嫌なことがあったときの気持ちの切り替えが、あまり上手にできていなかったことに気付いた。
仕事の時間が終わり、PCの電源を切っても、いつまでも仕事のことを考えてしまう。
また、嫌なことがあったとき、そのことについてずーっと考えてしまい、夜もそれでまたイライラしたりして眠れないときもよくあった。
悩んでも何も変わらないとわかっていることをいつまでも考えてしまったり。
忘れたくても忘れられない、頭がずっと休まらないという状態なので、土日ゆっくり休めたと思ってもなんかスッキリしないな、ということがとても多かった。
子どもの頃から、”ぼーっとする”という行為を悪だと思っていたわたしは、いつの間にか、頭を休めることができなくなってしまっていたのだ。
悪だと思っていたからこそ経験せずに(というかそもそもその概念がなかったのだが)20年以上たち、今度はそれを訓練して習得しようとし始めたのはなんだか面白い。
しかし、朝のたったの5分の瞑想を続けて約2ヶ月ほど経った今、”感情に取り合わない””今に集中する”という訓練を瞑想でしていることで、考えごとが湧き上がってきても「わかったわかった、でも今はそれを考える時間じゃないんで!」と、それらからきちんと距離を置くことができるようになってきた。
そのおかげで、朝起きてから仕事を始めるまでの1時間半ほどの時間はとても心穏やかに過ごせるようになったし、土日も思いっきり遊びを楽しむことができているように思う。
これが、本当の意味での「オンオフ」なのだなと、めちゃくちゃ実感している日々である。
瞑想は相性もあるようだが、心が休まりづらい、いつまでも悩んでしまう、と感じている人にはぜひ、瞑想を始めてみてもらいたい。
瞑想というと難しく感じてしまう人は、まずは”ぼーっとする”ことから始めてみても良いかもしれない。