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映画「あんのこと」で喰らった虚無と罪悪感

あぁ、ずどーーーーん。
ずどーんです。観終わった後に心に重くのしかかる作品。

親が子供に与える「教育」が、実際には「洗脳」と化していることに気づかされる。なんなのだ、あの恐怖政治は支配だ。
あんの母親が、娘のことを「ママ」と呼ぶ異様さと娘への執着は、その歪んだ関係と依存を象徴していた。
母親があんに押し付けた感情は、一方的で、彼女自身の望みや人生を無視した支配的なものだった。

また、聖人のように見えていた刑事にも裏の顔があり、彼の善行が一気にくすんで見える。この二面性が、物語全体に漂う不安定な空気をさらに際立たせていた。

そんな中、あんに対して優しく接するおばあちゃんの存在が救いに見える。
しかし考えてみれば、このおばあちゃんこそ、あんに与える苦しみの根源である母親を育てた人物でもある。
彼女が育てた母親が、なぜああなってしまったのか、そしてその苦しみがあんに引き継がれていることを思うと、おばあちゃんの優しさすら空虚で、真の救いにはなっていないし、おばあちゃんへの情が一気に事態をマイナスの方向へと加速させるきっかけになってしまう。

そして物語の後半、あんが隣人の子供の世話を突然引き受けさせられる。その子の世話をするうちに芽生える愛情は、ただの思いやりではなく、自分が母親から与えられなかったものを、その子に注ぐことで、それを取り戻そうとしているようにも見えた。その懸命な姿には頼りなさもあるが、同時に確かにそこに愛情が感じられる。母親から受けた負の連鎖を、彼女は止めようとしていたのかもしれない。

鑑賞後に残ったのは、虚無感だった。映画を観終わってからしばらく、放心状態だった。あんが現状から抜け出すチャンスはいくつかあったものの、それを掴むことすら難しく、かろうじて掴んだ手からもすり抜けていく。
そしてやっと見えたかすかな望み。それすらも途切れてしまった時に、再起できる人がどれだけいるのだろうか。
親や環境が時に人を縛り、苦しめるという現実を痛烈に描き出している。

この映画が実話に基づいていることを知り、その虚無感はさらに深まった。
コロナ禍の最中に起こったというこの現実は、さらに心を抉る。
あの異様な空気の中、外界との接触が制限され、閉塞感が漂っていた世界で、こんな悲劇が進行していたのかと考えると、言葉を失う。

あの時を思い返すと、自分自身の手の中にある小さな世界を守るだけで精一杯だった。日々の生活に追われ、他者のことを考える余裕がどれだけの人にあっただろうか。
あの時の「自粛警察」や、同調圧力による排他主義、他罰的な傾向は異様だった。
社会全体が冷たさを増す中で、すぐそばにあったかもしれない誰かの苦しみに気づけなかったこと、いや、そこから目を背けていた。
本当にこんな目にあった子がいたんだと、映画に感情移入することでリアルに感じる。いや、今もあんはそこらじゅうにいるんだろう。

日常で無関心に通り過ぎて生きていたことに罪悪感を覚える。
しかし、その罪悪感も、エゴだと感じてしまう。
結局、目を背けたくて、無力とか虚無感という言葉に逃げ込んでいるのかもしれない。



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まさだりりい
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