いつもみてしまう夢から、自分をひとつ見直せたお話
あんまり夢はみない(というか覚えてない)方なんだけど、みる時は、いつも同じような夢をみる。
いや~な、冷や汗がでるような、起きてから、あーー夢でよかった…って思うような夢。
もう書いてるだけで、絶対経験したくないーって気持ちになる(泣)
(できるだけ)毎朝、起きてモーニング・ページを書くようにしているんだけど(その時の気持ちをとにかく何も考えずにノートに書きまくる)、前回9月半ばにこういう夢をみた記録があった。
そのときに、目覚めてすぐに、あまりにも自分がかわいそうで。
奥底では、いまの自分が認められていなくて「わたしはもっとやれる、がんばれるはずなのに、まだ全然できてない」って自分に対して思ってるんだろうなって、漠然と思ったんですよね。
あとは「自分にとにかく完璧を求めてるんだろうな」ってことも。
それで、準備がまにあわない夢、で検索したら、ドンピシャではないけど、こんなのがでてきて、もう図星すぎて…朝から泣いてしまった。(引用長くてすみません)
きちんとがんばることのできる自分も、できるだけ完璧にしたいと思う自分も、長所でもあるってわかってはいる。
だけどこのときばかりは、なんで自分にもっと優しくしてあげられないんだろう…どこまでいったらわたしは自分を認めてあげられるんやろ?って、がんばりすぎをやめられない自分を、否定的にみて悲しくなってしまいました。
ここでちょっと話はとびますが…
今年に入り、生活リズムの変化や猛暑などおそらくいろんな理由から、数ヶ月前からメンタル面の調子がよくなく、先日心理カウンセリングを受けてみました。
その際に先生から、こんな言葉をかけていただきました。
最初はピンとこなかったのですが、「セルフ」という、自分の中になにもジャッジしない存在が別にある、と感じたとき、
「がんばりすぎの自分」はあくまで一つの「パーツ」にすぎなくて、それを客観的にみてあげれば、否定することなく「そっか、いつもよくがんばってるね。これまでもほんとにがんばってきたね」という、とてもあたたかい気持ちになることができました。
これまでは「がんばらなくては」「休みたい」という「パーツ」が自分の中で直接戦ってしまっていて、ほんとにずっと頭の中がうるさかった(笑)
どちらかが優勢になるたびに、わたしの感情や行動も一緒に翻弄されてしまっていたんですよね。
それが「セルフ」という存在を別に意識することで、
「がんばらなくては」と思っている自分も「休みたい」と思っている自分も、どちらも自分で、ここにいていいよ。と思えるようになって、気持ちが安定するようになったと感じています。
あとから調べてみて、この考え方は「IFS 内的家族システム」というものだと知りました。もう少し、詳しく知ってみたいなと思っています。
そして昨日、またいつもの夢をみました。
ピアノの演奏会本番が近いのに、レッスンで全然弾けない…先生に怒られた。練習部屋を予約したのに、気が付いたら間に合わない…
(どんだけいつも同じなんだって感じ)
だけど、今回は全然落ち込まずにいられました。
そっか、また「がんばらないと」のパーツが出てきてるんだな。よしよし。いまはあせらなくて大丈夫。ゆっくりいこう。って自分に声をかけてあげて。気持ちよく一日を始められたことがとてもうれしかった。
自分にとっては、大きな一歩だと感じました。
みんなにわかってもらえる経験談ではないかもしれませんが、これを読んで、少しでも気持ちが楽になる方がいたらとてもうれしいです。