三笘の1ミリが、かけっこを最後まで走り切れなかった息子を変えた
6歳の息子は、諦めるのが得意な子だ。
かけっこをしていても、
中ほどで「もう勝てない」と思ったら、走るのをやめてしまい、その場に座り込んでいた。
将棋をしていても、トランプをしていても、
「もう勝てない」と思ったら、「負けました」も言わずにどこかに隠れてしまう。
一緒に遊んでいた相手は、たいてい怒りがおさまらないという風だ。
しかし、息子本人は負け切っていないからか、悔しがる様子もなく、ふふんとすましている。
この癖は、
仕方のないことなのかなぁと私は思っていた。
いつも一緒に遊んでいる、
2歳先に生まれた8歳のお姉ちゃんの方が、
何をやってもうまくできるのだ。
私も夫も、自分自身が一番上の子として生まれたのもあって、何をやっても勝てないやるせなさみたいなものは、たぶん4人家族の中では、彼にしか分からなかった。
「最後まで諦めずに頑張りなよ」
と言ってはみるんだけど、
全然、彼には響いていなかった。
また次も諦めてしまう。
負け続ける息子なりの自己防衛なのかな、と思ったりして、それ以上何を言えばいいのかいいか分からなかったし、強く何かを求めることもできなかった。
ただ、
このまま大人になって、大丈夫なのか。
どんな大人になるんだろう。
何をやっても、途中で逃げ出してしまうんじゃないか。
と、心配に思っていた。
そんな息子は昨年の1月に、サッカーをはじめた。
幼稚園でそのとき流行っていたのと、自分なりに「幼稚園の中では走るのも早いし、運動好きかも?」と思ったらしくで、自分からやりたい!と言ってきた。
週に1回のサッカー教室は遊びの延長のように、楽しんでいるようだった。
加えて、漫画『アオアシ』を読んだりして、サッカーのルールを学び、サッカー熱を少しずつ高めていった。
ただ、相変わらず、
勝ちにこだわる、みたいな姿勢は見られなかった。
公園で一緒にサッカーをしていても、
負けそうになると例によって、途中で、
「もうサッカーはやらない〜」
と言って、するりと逃げていた。
サッカー教室からの帰り道には、
「今日サッカーで、僕のチーム負けちゃったんだ〜」
みたいにいうこともあったけれど、特に悔しそうな素振りもなく、淡々といつもの息子だった。
そんな中、
11月にサッカーワールドカップが始まった。
ふだんテレビはほとんど観ない我が家だが、
息子がサッカーを習っていることもあり、
深夜の中継をチェックして録画し、
翌日その録画を観る、ということを連日繰り返した。
出場している国や選手の名前、
ポジションと役割、
ルールなんかをテレビを観ながら教えてやると、
どんどん面白くなってきたようだ。
日本の試合の時は、
テレビにかじりつきながら、
画用紙や段ボールで作った、
自作の国旗と、帽子をかぶって応援していた。
日本が、ドイツやスペインを破るさまをみて、
全身を使って喜んでいた。
✴︎
「お母さん、お姉ちゃん、サッカー行こう!」
と、公園に誘われる回数は増えた。
ワールドカップが楽しかったのだというのは、
その様子からも感じていた。
けれど、それ以上の変化は期待していなかった。
その日は、
公園でボールを蹴り合っていたと思ったら、
なんとなしに、
娘と息子のかけっこがはじまった。
私は、かけっこのゴール側にある、
ベンチに座って眺めていた。
大きな公園なので、結構距離がある。
豆粒ほどの娘と息子がいちについて並ぶ。
よーいどんっ
(は聞こえないが、言ったタイミングは分かった)
走る走る。
あぁ、やっぱり今日もお姉ちゃんの方が速い。
息子は後ろに、離されていく。
息子は、また走るのをやめちゃうだろうな。
娘は、怒るだろうな。
そう思った時だった。
「三笘の1ミリーーーーっ!!!!!」
息子は、こちらまでよく通る声で叫んだ。
そして、走り続けたのだ。
いつもなら立ち止まってしまうところを越え、
なお、前かがみになりながら、
必死に腕と足を大きく振り続けている。
「えっ?」
私は驚いた。
「三笘の1ミリ」という言葉は、息子の口からそれまで聞いたことがなかった。
もちろんあの日本対スペインの試合。三笘選手がラインギリギリのボールを拾った姿は観ていた。それに、その後のニュース、サッカーの特番で取り上げられ、たびたび目にはしていただろう。
けれど、息子の中にそれほどの影響を与えているなんて想像もしていなかった。
諦めない気持ちの象徴として、
息子の胸に刻まれていたんだと、
私はこの時初めて知ったのだ。
一方、前をゆく娘は、
ふだんはスポーツはしない本の虫だ。
短い距離での速さはあるが、
長い距離を全力で走るスタミナはなかった。
だんだん、息子が追いついていく。
私はその様子を見て、
熱くこみあげるものがあった。
あぁ、すごい。
スポーツはすごい。
人は、こんなにすごい。
私が一から十まで手を取って教えなくたって、
息子はちゃんと世界や人を通して、
自分なりに感じて、
自分なりに力にしていくことができるんだ。
少し寂しくもあり、
それ以上にすごく頼もしかった。
諦めなければ、何かが起こる。
そう息子の心を動かしてくれた
サッカーに、
そして素晴らしいプレーを見せてくれた三笘選手に、
感謝しかない。
それでも、私の前でゴールする時には、
やはりわずかに娘の方が速かった。
「娘の勝ちっ!息子の負けー!」
娘は息を切らしながら、
それでもこの上なく得意げに、息子に言った。
娘も、やっと「勝てた」のだ。
いつも逃げ続けた息子に、やっと勝てた。
嬉しかっただろう。
対して息子は。
「うわぁーーーん!」
泣いた。
「お姉ちゃんのばかやろおぉぉおお!」
泣いた。
地面にお尻をついて、足をバタバタさせて、
土埃を散らしながら、思いっきり泣いた。
「仕方ないじゃん、勝ちは勝ちっ!」
「でもぉぉおお!!だってぇええ!!!」
顔は、涙と鼻水と土でドロドロだ。
とても悔しそうだった。
本当だったら、
こんな顔を見たら、
かわいそうだなと思うのが母心だろうけど、
私は嬉しかった。
走り切った人だけが感じられる、悔しさだ。
歯の奥がぎりぎりするほど「悔しい」という気持ちを、息子がちゃんと噛み締めて、
なんとか発散させようともがいている。
この先もう見ることがないまま、息子は大人になってしまうのではないかと、
私が心配していた息子のその姿、その表情を、
やっと見ることができたのだ。
✴︎
1月は、家族で高校サッカーを観ていた。
正月に行ったじーじばーばがいる、京都の東山高校が、決勝までいく大躍進をしていた。
決勝戦で、岡山学芸館に3点目を入れられた時、
私は思わず言ったのだ。
「あぁーー!
このタイミングで、3点目かぁ。
もうこれは、負けてしまうかもなぁ…。」
そしたら、息子は、
「お母さん!
三笘の1ミリだよ!
まだ試合は終わってないよ!」
と、私をたしなめた。
「あぁ、たしかにそうだね!
お母さん、諦めかけてたわ。
まだ残り時間は、あるもんね。」
息子は、満足そうに頷いて、
試合の最後まで、東山高校を応援し続けてた。
そして、
東山負けが決まると、悔しくて、
また声を出して、
ぐちゃぐちゃに泣いた。
そしてひとしきり泣き終わると、
「じーじばーばも、泣いてるかな…」
なんて、京都に住むじじばばの心配までしていた。人の悔しさまで想像している。
息子の変化に、
驚かされぱなしの母なのだった。
✴︎
この子はこれから、
どんな人と、
どんな世界と出会って、
どんな風に変わっていくのだろう。
それをそばで、今しばらく見守れることを、
とても嬉しく思う。
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