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生きているナースの日常と源 /『ナースの卯月に視えるもの』読書感想文
小さい頃に入院をしたことがある。
おたふくかぜをこじらせて、無菌性の髄膜炎にかかった。
窓際のベッドで背中を出して丸まって、打たれる注射はとにかく痛かったことを、もう何十年も前のことなのにいまだに覚えている。
けれど、
入院生活そのものはなんだか特別で楽しかった。
父と母は共働きでずっとそばにいてくれたわけじゃないので、たぶんそれは、ナースの方達のおかげだったんじゃないかと思い返す。
あの頃、担当してくださったナースの方達は、母と同じかそれ以上の年齢の人たちだった。
私にとっては圧倒的な大人。いつも子どもの私を気遣って、なんやかやと声をかけてくれた。
「南天ちゃん、今日のデザートはなに?リンゴ?きれいに剥いてもろてぇ。いいねぇ」
「南天ちゃん、今日は昨日よりごはん食べれたやん。えらかったなぁ」
「これ、下の売店で配ってた風車。南天ちゃんにあげるわぁ。ここに置いとくからねぇ」
という風に。
朗らかで、頼りになって、
寂しくなったら甘えることを許してくれた。
あぁ、ここには自分を守ってくれる人がたくさんいるのだなぁと信じて安心していた。
***
秋谷りんこさんの『ナースの卯月に視えるもの』を読んだ。
主人公の卯月は、長期療養型病院で働くナース。あるできごとがきっかけで、死を意識した患者の気がかりとなっていること【思い残し】が視えるようになる。
note版では、
思い残しを解消していくのを卯月と一緒になって取り組んでいるような気持ちになりながら、最後はこうなるのか……と不思議な読後感を楽しんだ。
そして、創作大賞を受賞し、編集者さんがついて大幅に改稿され、5月8日に発売になった書籍。こちらの対談前に一足先に拝読した。
note版ではミステリー要素が強い印象を受けていたけれど、書籍では「ナース」という職業についてもよりしっかり書かれている。
冒頭に語った私が入院中に関わっていただいたナースとは少しイメージが違うかもしれないが、
ナースという職業は一昔前は、「白衣の天使」なんて言われていたくらい、ちょっと幻想的な存在だったように思う。
その言葉は、いつも笑顔で優しく患者に接するナースを表していると思っていた。でも、もしかしたら、「生」と「死」の境目に身を置いているということでもあるのかな、とこの物語を読んで初めて思い至った。
そういう場所に身を置きながら、ナースという職業の人々は、必死に「生」きている。
優しく静かに流れていくストーリーの中に、
「生きているんだよーー!!」という筆者の叫びのようなものをどこか感じながら、本を読み進めた。
一日立って歩きまわっていれば足はむくむ。
患者をお風呂に入れれば、汗だくにもなる。
調子が悪ければ、失敗もする。
それでも、患者が少しでも楽に過ごせるように、
チームで最善を尽くす。
時には仕事の範囲を超え、
思い残しまで解消しようとする卯月。
けれど、思い残しが視えないナースだって、
死と隣り合わせの場所で最善を尽くしている。
いったい、
その尽くす力の源はどこにあるのだろう。
読み進めていくうち、
それは、もしかしたら、
日々の何気ないことなのかもしれないと思った。
夜勤明けのマクド、
仕事終わりのお気に入りの寿司屋…
そこで交わす仲間との会話。
そういうものを大事にしていくことで、
彼女たちは日々働くエネルギーを蓄え、
患者に寄り添いながら仕事をしているのかもしれない、と思う。
そして、卯月を見守ってきた人なら、
最後の六章を読み終わった時、さまざまな思いが生まれるのではないだろうか。
私は、本当に良かったなぁと思っていて、本当だったらたくさん書きたいのだけど、書籍を読んだ人が楽しんでほしいところなので、今ここには書かないでおこうかと思う(読んだ人とぜひ語り合いたい)。
大幅にボリュームアップされ、改稿もされて、読後感も含めて大きく変わった本作。ぜひ、noteを読んだ人も、そうじゃない人も、書籍を手に取ってほしいなと思う。
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