煽り運転被害と救護義務
かねてより疑問に思っていたことがある。煽り運転被害に遭い、それによって事故となった場合の救護義務である。裁判例検索を別の目的で眺めていると、この疑問に回答するような裁判例が見つかった。この裁判例を掘り下げてみることとした。
以下、道路交通法を単に法と略記する。
なお、交通法規の専門家ではないので、正確性は裁判例、紹介書籍、さらに正確性を望むなら弁護士相談などで補完してほしい。
疑問の詳細
近年、煽り運転の話題をよく見る。煽り運転とは言うまでもないところ、他の車両の通行を妨害する目的で行う態様の運転のことである。政府広報オンラインなどに情報がまとまっている。
煽り運転は、事故を誘発しやすい運転である。ここで事故が起こるとどうなるだろうか。
煽り運転事故の具体例に、以下の動画の13番(8:12)を示してみる。
この動画の前でトラブルがあったのかは分からないところ、どう見ても、幅寄せのうえで中央分離帯に押し出そうという姿勢が見える。
煽り運転ではない通常の事故で考えると、相手が一方的に悪い場合でも、撮影者の運転者には救護義務が生じる。
では、上記動画の事故の場合はどうなるだろうか。「相手方の一方的過失によって事故が発生」という範囲を超えて「相手方の故意によって事故が発生」ではないかと疑わしい状況である。この状況で救護義務があるからと相手車両に近づくのは危険な気がする。
あるいは、軽い接触事故に留まり、相手車両が停止したかと思ったら、顔から血を流した相手が車を降りて、凄い形相で凶器となりそうなものを手に持って近づいてくるかもしれない。
このような場合でも救護義務があるのか、救護義務を果たさないと救護義務違反となるのか、これがかねてより疑問に思っていたことである。
関連すると思われる裁判
上記の疑問を持ちつつ、別目的で裁判例を眺めていたところ、辿り着いたのが、裁判「平成29(行ウ)584、東京地判平31.2.20」である。
この裁判では、交通事故被害者が加害者に向かって危害を加えるかのような態度を取っており、それに恐怖を感じた加害者が逃走した行為が、救護義務違反になるのかということを問うものとなっている。
この裁判では、救護義務違反は不成立となっている。煽り運転事故被害者の場合も、これに類する判断となるだろうと思う。ただし、微妙な状況の違いから、必ずしもこれと同じ判断になるとは限らない。あくまで類似ケースでこのような判断となったものがあるという参考程度に留め、最終判断は各自で行っていただきたい。
刑事裁判
実は、裁判「平成29(行ウ)584、東京地判平31.2.20」は刑事裁判ではない。運転免許取消処分の取消を求める行政訴訟となっている。
事件番号「平成29(行ウ)584」の括弧内「行ウ」は、事件記録符号と呼ばれるものである。「行ウ」は行政事件記録符号規程に記載がある。「行政事件>地方裁判所>訴訟事件」を意味する。
では、刑事裁判では救護義務違反がどのように扱われていたのか。それは不起訴処分となっている。
不起訴処分(起訴猶予)とある。不起訴処分の種類たる起訴猶予は、事件事務規程に記載がある。
事件事務規程(平成25年3月19日法務省刑総訓第1号)には、以下のように記されている。全20号あるところ、よく言われる3種の号+道路交通法に密接な「反則金納付済み」に限定して記した。
起訴猶予のところに「被疑事実が明白な場合」とある。つまり、被疑事実は明白であるものの、訴追を必要としないと扱われている。
そもそも、刑事裁判の結果にある程度連動して行政処分も扱われてほしいというところがある。しかし、不起訴(嫌疑なし)ならともかく、不起訴(起訴猶予)だと刑事裁判の結果に連動などあったものではない。行政処分に対して取り消しを求める行政訴訟を起こす必要がある。それが、この節の冒頭に記した裁判「平成29(行ウ)584、東京地判平31.2.20」である。
第1事故の様相
では、この事故はどのようなものであったのか。
事故は、第1事故と第2事故に分かれる。第1事故で逃げたことが問題となるわけであるが、第1事故の態様、第2事故の後の動きを記す。
逃げたものの、15分後には警察に向かい、事故を申告したということになる。15分とは若干時間が空いているところ、加害者は個人タクシー運転者であり、個人タクシー協同組合に事故報告をしていたようである。
なぜ逃げたのか。第1事故直後の状況を記す。
第1事故の前に、幅寄せをされたと被害者は感じていて、第1事故によって怒りが爆発、加害車両のミラーを破壊するトラブルとなったようだ。
被害者の行動を見て、これはまずい、何をされるか分かったものでないと、加害者は逃げる行動を選んだようだ。被害者はヘルメットを被っていなかったこともあり、相手の表情を窺い知ることができたという点も理由にあるだろう。
窓を叩く程度であれば、被害者の姿勢も納得できる範囲であり、事故加害者として被害者に接する必要はあるだろう。しかし、ミラーの破壊とあっては、いつ窓ガラスを割られるかもしれない、危険な状況である。逃げるというのも納得である。
救護義務違反の成否
この状況で、救護義務違反はどのようになったのか。
救護義務違反の成否には、いくつかの観点がある。大前提として、負傷の認識が必要となる。第2事故で負傷しているのは明白であるところ、第1事故で負傷していることに気づいていたか。それが救護義務違反の争点となっていた。そして、未必的な認識があったと裁判で認定されている。
負傷の認識があったということは、救護義務の前提は成立しているということになる。
とはいえ、怒りの様相を見せ、ミラーを破壊するような相手に救護措置を施す義務があるのだろうか。それは以下のように判断されている。
「原告による救護を望むどころか,かえって本件車両又はその運転者である原告に危害を加えようとしていたことが見て取れる」状況であれば「救護の措置義務は解除されるに至ったと解するのが相当」というのが、この状況における司法判断のようである。
一般化
裁判結果を踏まえたうえで、冒頭の動画、あるいはより一般的なケースでどのようになるのだろうか。
冒頭の動画の場合
冒頭の動画の場合、横転していることを考えれば、重傷の可能性は十分にあるだろう。また、夜間であり、相手に近づかないことには、相手の負傷程度は分からないだろう。
重傷の可能性がありながら、そして相手の状況が見えないうちから、「原告による救護を望むどころか,かえって本件車両又はその運転者である原告に危害を加えようとしていた」とは言い難く、「救護の措置義務は解除されるに至った」と判断するのも難しそうに思う。
とはいえ、あのような煽り運転者がまともな感性を持っているとは考え難く、粗暴である可能性は大いにあり、軽傷に留まっていれば言いがかりをつけてこないとも限らない。
そうすると、警察には一報を入れ、煽られた事情、事故態様、現時点で把握できる相手車両の状況、何をされるか分からないということを伝えつつ、そのうえで警察の指示を仰ぐという選択かもしれない。
警察の指示のうえで相手車両に近づくにしても、携帯を通話状態にしたまま、いざというときに自車に逃げ込む用意だけは忘れないようにしたい。
一般化
一般化しても、おおまかな判断は変わらないだろう。
一般化すると、どのような観点があるだろうか。
自身の状況
自車に同乗者がいるか、人数の多寡はどうか
自身あるいは同乗者の、頼りになる度合い
相手の状況
車種から想像される人物像
事前に相手の人数や表情などを確認できたか(日中)
こちらが降りる前に相手が降りてくるか、降りてきた場合の表情
双方の状況
自身と相手の状況を比較しての、問題が起こり得る度合い
周辺の状況
日中か夜間か
当事者以外の助けてくれそうな人の有無
周辺交通、停まってくれそうな第三者の期待度合い
簡単に思いつくところでは、こんなところであろうか。
基本的には救護にあたるべきであるところ、事前に煽り運転被害を受けているようなケースでは……
「原告による救護を望むどころか,かえって本件車両又はその運転者である原告に危害を加えようとしていたことが見て取れる」ことが確認できればすぐに、自車に逃げ込める態勢を取っておくこと。たとえば、相手が車を降りてきて、手に金槌などを持ち、鬼の形相をしているなど、こういったときに自車に逃げ込める態勢を取っておくこと。
事前に警察に連絡し、事情を伝え、自身と相手と周辺の状況によっては車外に出ることも憚れるほどに危険があることを伝え、そのうえで事にあたること。
警察と通話状態を保っておくこと。
こういったことに注意する必要があるように思う。
まずは、情報を共有できる仲間を作ることが大切である。同乗者、周囲の第三者、警察、これらと協力体制を築いたうえで救護にあたるようにしたい。
補足
通常の交通事故では、警察への連絡よりも救護措置義務が最優先である。警察への連絡は、救護措置義務や危険防止措置よりも後である。その点を間違えないようにしたい。
この記事に書いたことは、交通事故発生以前に、相手の挙動に煽りがある場合、そして自身への危害のおそれが十分かつ事前に予想される場合の話である。そうでない限り、救護措置義務が最優先である。
まとめ
煽り運転やそれに伴う事故に遭わないのが一番であるところ、相手のあることであり、必ず避けられるものではない。そうそう起こるものではないと思うものの、最近の交通事情を考えれば、起こりえるという程度には心得ておく必要があるかもしれない。
そういったとき、法は、相手の状況次第で「救護の措置義務は解除されるに至ったと解する」余地を残してくれているということを思い出してほしい。