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三つの高天原

    今日は、神典に啓示されてある教にもとづいて、日本国と我が教団の将来について、その概略をお話ししたいと思う。それにしても私が、次にあまりも大きなことを申すので、空想的で夢のような話だと、一寸信じられないかも知れないが、神の言葉であるから、時満ちれば、必ず、それは成就すると私は信じている。     それによると、世界はやがて日本国を中心として、神の国の楽園が招来され、全人類が平和と、浄らかな繁栄と、永遠に謳歌する日が必ず来るとある。     それは日本が、再び武力に訴えて

    • 佛神教 七

      世(よ)は例(たと)へ朽(くち)るとも神佛(しんぶつ)の教(おしえ)は永久(えいきゅう)に朽(く)ちず。此(こ)れ世(よ)は如何(いか)に乱(みだ)れるとも、神佛(しんぶつ)の教(おしえ)は曇(くも)るとも、神佛(しんぶつ)の本(もと)の教(おしえ)は決(けっ)して乱(みだ)れず。今(いま)に見(み)よ、今(いま)に見(み)せん。僧(そう)は赤(あか)き衣(ころも)を着(き)らば着(き)れ、青(あお)き衣(ころも)を着(き)らば着(き)れ。賤(いや)しき行(おこな)いを成(な

      • 佛神教 六

        實に今(いま)の僧(そう)を見(み)よ。常(つね)の人(ひと)と異(ことな)らず。否(い)な、其(そ)れより悪(あく)の行(おこな)いを成(な)す人(ひと)も有(あ)り。又(また)悪(あし)き心(こころ)を持(も)つ人(ひと)も有(あ)り。此(こ)れ又(また)、僧(そう)とは名(な)有(あ)る丈(だ)けにして、未(ま)だ表(おもて)に出(い)でては強(つよ)き悪(あく)を成(な)すに至(いた)らず。裏(うら)を見(み)れば、目(め)も付(つ)けられざる様(さま)なり。何(なん

        • 佛神教 五

          此(こ)れ佛(ぶつ)成(な)るも、廣(ひろ)むる時(とき)は大(おおい)に苦(くるし)み廣(ひろ)めし教(おしえ)なり。又(また)如何(いか)成(な)る教(おしえ)成(な)りとも、誠(まこと)の教(おしえ)成(な)れば、廣(ひろ)むるに大(おおい)に苦(くるし)み廣(ひろ)むるなり。或時(あるとき)は山(やま)に臥(ふ)す。青空(あおぞら)を笠(かさ)と成(な)し事(こと)も有(あ)り。今(いま)見(み)よ、其(そ)の功(こう)も空(むな)しく乱(みだ)れに乱(みだ)れ、驚(

          佛神教 四

          人(ひと)、一度(いちど)此(こ)の世(よ)を離(はな)るれば、食(しょく)は食(しょく)せず、衣(ころも)は無(な)し、手足(てあし)は無(な)し。身(み)は無(な)しと。肉眼(にくがん)には見(み)えず。又(また)此(こ)れ、佛(ぶつ)成(な)りとも神(かみ)なりとも此(こ)れ同(おな)じ。成(な)れど此(こ)れ、神(かみ)成(な)れば自由自在(じゆうじざい)に、如何(いか)成(な)る様(さま)も見(み)せるに可(か)なり。成(な)れど神佛(しんぶつ)、死(し)せし人(ひ

          佛神教 三

          人々(ひとびと)は、佛(ぶつ)・神(かみ)成(な)れば、敢(あ)えて分(わ)け異(い)る者(もの)に成(な)さずとも良(よ)きが如(ごと)く成(な)るも、佛(ぶつ)は此(こ)れ、用(よう)の有(あ)る為(ため)に造(つく)りしなり。何用(なによう)有(あ)りと云(い)えば、神(かみ)の世(よ)に出(で)る迄(まで)に、一度佛(いちどぶつ)を出(だ)さずば成(な)られざるが為(ため)に此(こ)れ、造(つく)りしなり。又佛界(またぶつかい)は、死人(しびと)の来(く)る所(ところ

          佛神教 二

          人死(ひとし)するも、魂(たましい)と申(もう)す者(もの)は、決(けっ)して死(し)する者(もの)に有(あ)らず。幾(いく)萬(まん)年(ねん)も決(けっ)して亡(ほろ)ぶ者(もの)に有(あ)らず。唯人(ただひと)の死(し)すると云(い)うは、此(こ)れ世(よ)を去(さ)り別(べつ)成(な)る所(ところ)に行(ゆ)くを、人(ひと)は死(し)したりと悲(かな)しむ。人(ひと)と云(い)うは敢(もっぱ)ら外(そと)衣(い)に過(す)ぎず。死(し)すると云(い)うは、其(そ)の外

          佛神教 一

          佛(ぶつ)は神(かみ)の枝(えだ)なり。神(かみ)は本(もと)なり。良(よ)く其(そ)れを味(あじ)わいて居(い)れよ。此(こ)れ佛(ぶつ)は神(かみ)なり。人(ひと)。人(ひと)は、神佛(しんぶつ)成(な)れば、此(こ)の佛(ぶつ)の世(よ)を、神(かみ)に直(なお)す事(こと)要(よう)せざるが如(ごと)くと思(おも)うも知(し)らず。此(こ)れ考(かんが)えて見(み)よ。今(いま)の佛(ぶつ)を見(み)よ。様(さま)を見(み)よ。此(こ)れ、乱(みだ)れし事(こと)、云

          大神教 七

          神国(かみくに)の、松(まつ)の緑(みどり)の如(ごと)く栄(さか)える御世(みよ)の来(きた)らん事(こと)を欲(ほっ)する人(ひと)は、良(よ)く此(こ)の神(かみ)の教(おしえ)に従(したが)いて、神(かみ)の道(みち)を進(すす)めよ。一(ひ)と度(たび)神(かみ)の教(おしえ)に従(したが)はば、逆(さ)か巻(ま)く怒(ど)涛(とう)も、忽(たちま)ち漣(さざなみ)も立(た)たず。一(ひ)と度(たび)魔(ま)の道(みち)を歩(あゆ)めば、漣(さざなみ)も忽(たちま)

          大神教 六

          今(いま)の人(ひと)の様(さま)を見(み)よ。神道(しんとう)・人道(じんどう)より離(はな)れ、悪(あく)の道(みち)邪(じゃ)の道(みち)を歩(あゆ)み。此(こ)れ、神道(しんとう)・人道(じんどう)とは何(なん)ぞ。神道(しんとう)・人道(じんどう)とは正(ただし)き・清(きよ)き・美(うつくし)き・貴(とうと)き善(ぜん)なる道(みち)を云(い)う。天理(てんり)の鏡(かがみ)に合(あ)いし道(みち)なり。此(こ)れ、神道(しんとう)・人道(じんどう)は、神佛人(し

          大神教 五

          三(さん)の寶(たから)は此(こ)れ、神(かみ)を治(おさ)むる者(もの)無(な)くては成(な)らず。四(よん)の寶(たから)は外國(がいこく)を治(おさ)む。此(こ)れ外(がい)國(こく)を治(おさ)むと云(い)うも、決(けっ)して國(くに)を治(おさ)むるに有(あ)らず。外國(がいこく)の神佛(しんぶつ)を治(おさ)むるなり。又(また)五(ご)の寶(たから)は佛(ぶつ)を治(おさ)む。此(こ)の五(ご)の寶(たから)の本(もと)は、互(たがい)に相(あい)助(たす)け合(

          大神教 四

          世(よ)は五(ご)の寶(たから)を以(もっ)て治(おさ)む。五(ご)の寶(たから)とは何(なん)ぞ。一(いち)は誠(まこと)の神(かみ)。二(に)は一天萬乗(いってんばんじょう)の君(きみ)を云(い)う。一天萬乗(いちてんばんじょう)の君(きみ)とは何(なん)ぞ。一天萬乗(いちてんばんじょう)の君(きみ)とは此(こ)れ、神國(しんこく)の、日本(ひのもと)の君(きみ)を云(い)う。此(こ)の君(きみ)は畏(かしこ)くも、天(あま)照(てらす)皇(すめ)大御神(おおみかみ)と大

          大神教 三

          神(かみ)を信(しん)じる者(もの)の一歩(いっぽ)は、磨(みが)きなり。磨(みが)きとは何(なん)ぞ。此(こ)れ磨(みが)きとは、心(こころ)の雲(くも)の無(な)く成(な)る迄(まで)清(きよ)むるを云(い)う。此(こ)の磨(みが)きも、各々(おのおの)自(みずか)ら磨(みが)くは此(こ)れ少(すこ)し。多(おお)くは神(かみ)の成(な)すが侭(まま)に成(な)りて、自然(しぜん)に磨(みが)けるに有(あ)り。 神(かみ)に縁(えん)の有(あ)る者(もの)は、此(こ)の今

          大神教 二

          神(かみ)の教(おしえ)を守(まも)るには良心無(りょうしんな)くして出来(でき)ず。守られず。此(こ)れ良心(りょうしん)を以(もっ)て神(かみ)を信(しん)じれば、神(かみ)喜(よろこ)ぶ。又(また)守(まも)る。悪心(あくしん)を以(もっ)て成(な)せば如何(いか)に拝(おが)むも喜(よろこ)ばず。又(また)守(まも)る事(こと)無(な)し。成(な)れば神(かみ)に向(むか)うには良(りょう)心(しん)を以(もっ)て向(むか)い、向(むか)わざる時(とき)も善心(よきこ

          大神教 一

          神(かみ)と云(い)う物(もの)は、此(こ)れ誠(まこと)に清(きよ)き物(もの)なり。俯仰(ふぎょう)天地(てんち)に恥(は)じざる者(もの)なり。此れ(これ)此(こ)の誠(まこと)の神(かみ)は、日本(にほん)の神国(しんこく)の祖先(そせん)なり。神(かみ)は此(こ)れ、森羅万象(しんらばんしょう)の祖(おや)なり。成(な)れば神(かみ)を祖(おや)に戴(いただ)く人(ひと)成(な)れば、正(ただ)しく直(なお)く成(な)せよ。此(こ)れ歩(あゆ)むには、此(こ)れ悪(

          死後の世界 (四)

              ついで自殺のうちの心中について一寸申し添えるが、相思相愛の人が、死んでも離れないようにと紐で互いの体をしばって投身などするが、死後の国でも、二人つれ合って生活できるものと信じての行為のように見受けられる。だが神さまの教えるところでは、決して希望通りに二人づれで住むことはできぬと断言なされている。人の死後はこれを統治する神によって、霊界の律に強力に支配されるもので、勝手気儘な行動はできるものではない。秩序が守られるところに平和がある。被造物であり、不完全な人間は、神の統

          死後の世界 (四)