三つの高天原

    今日は、神典に啓示されてある教にもとづいて、日本国と我が教団の将来について、その概略をお話ししたいと思う。それにしても私が、次にあまりも大きなことを申すので、空想的で夢のような話だと、一寸信じられないかも知れないが、神の言葉であるから、時満ちれば、必ず、それは成就すると私は信じている。
    それによると、世界はやがて日本国を中心として、神の国の楽園が招来され、全人類が平和と、浄らかな繁栄と、永遠に謳歌する日が必ず来るとある。
    それは日本が、再び武力に訴えて、他国を侵略し、強制的に従属させるの意でない。暴力の行使という最大の罪悪に汚れた手段は、正神はこれを用いることを悦ばぬものである。
    それでは、どのような過程を通して世界が一つになり、浄土が具現されるかというと、自国の力だけを頼んで国を営むよりも、日本国と連合した方がより幸福な国民生活をおくれるからと、日本国の徳風を慕って他国が合流を希望し、一つ一つと自然に寄り集まってくるからである。
    勿論その前に、偉大なる神による大自然の力が発動される。神典に(世は一神二神三神によりて平となす。) とある。一神二神三神が何を指すかは明示されていないが、時いたって分明されるであろう。このように神が世に出ることによって、国は浄化され、神に選ばれた日本国の優秀さと、権威の裏づけがなされるようになる。
    そのような時代になれば、日本天皇は、全人類から最高の尊敬を享け、又慕われるお方となる。なぜならば、日本天皇は、天津神、国津神、八百万の正神が、その叡知と能力のすべてを結集して創造した、比類のない魂が授けられ、生れましたお方だからである。
    尚神が、世界を一つにした地上の楽園を建設する為には、松・竹・梅、三つの高天原を造り、これによって、その経綸を進め完成するとある。
    三つの高天原のうちで、最高の資格は松の高天原で、竹はそれに次ぐ。竹の高天原は外国の宗教を治め、指導することになる。だからキリスト教も、やがて配下につきその指導を仰ぐことになる。だが竹の高天原だけは、これも我が国にできるはずだが、今のところまだあらわれていない。
    梅の高天原は第三番目の資格で、これは我が国にある某教団である。今はこれを明言すべき時ではないが、やがて知る日がくるであろう。竹も梅も、松の高天原の配下に所属して、その指導を仰ぐことになる。
    松の高天原は、わが本部のこの地であって、神道を支配し、又外国の宗教も仏教も、併せ統べることとなる。
    神が世に出て、この三つの高天原が相助け合い、世界人類の救済のため、本格的な伝道、教化の活動をするが、その時は、先天的に神に選ばれ使命を与えられた優れた魂の持主、即ち神柱(かんばしら)と名づけられている男女百八十一組、合計三百六十二名が、我が国は勿論、遠い異国からも神に召され、各高天原の傘下に勇んで集まることになっている。
    この三つの高天原は、即ち世界の宝である。これが出現とめざましいその活動によって、永遠なる理想の国神の国が到来し、栄光に輝く大神業が達成される。
    我が教を信ずる人は神典に啓示された以上のことをも信じて、宇宙最高の神を信じ、その神のみ旨になる世界最高の神典を降下され、最も尊い国に生を享けた認識を新たにし、誇りと自覚を深めることであろう。
    さればと言って私は、他宗のすべてが邪教で、他民族がすべて劣等民族だなどと、卑下し誹謗し、排他的になることを教えるものではない。人間はすべと、神の子の尊厳なる魂と、使命を与えられた平等な存在であるし、あらゆる宗教は、雨が天から降るように、一元の天なる神によって、その時代の民の救済の使命があり、神仏によって、創立されたものだからである。異教徒なりとも異民族とも人であるからには、愛と寛容をもって接し、共に生くべきで、いやしくも、こうした基本的な人倫の道を、踏み違いた背信の行為があってはならない。
  「神は、天の経綸を司り人はその意志を、地上に顕現す」とある。神の思想を勇躍して、他の物象のことごとくに、具現すべく努力する人こそ、真の我が教徒たるの、名が冠せられる人である。そのようなたくましい実践によってのみ、み神の広大なご計画は、着々と推進される。

神歌 神々も仏も阿弥陀も何もかも 教ゆる道に二なかりけり

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