佛神教 七

世(よ)は例(たと)へ朽(くち)るとも神佛(しんぶつ)の教(おしえ)は永久(えいきゅう)に朽(く)ちず。此(こ)れ世(よ)は如何(いか)に乱(みだ)れるとも、神佛(しんぶつ)の教(おしえ)は曇(くも)るとも、神佛(しんぶつ)の本(もと)の教(おしえ)は決(けっ)して乱(みだ)れず。今(いま)に見(み)よ、今(いま)に見(み)せん。僧(そう)は赤(あか)き衣(ころも)を着(き)らば着(き)れ、青(あお)き衣(ころも)を着(き)らば着(き)れ。賤(いや)しき行(おこな)いを成(な)さば成(な)せ。賤(いや)しき者(もの)を食(しょく)さば食(しょく)せ。神道(しんとう)、佛道(ぶつどう)、人道(じんどう)に反(はん)すなば反(はん)せ。思(おも)うが儘(まま)に募(つの)らば募(つの)れ。佛(ぶつ)敢(これ)を否(いな)めず。成(な)れど其(そ)れ一時(いっとき)に強(つよ)く發(はつ)す成(な)れば強(つよ)く、其(そ)の如(ごと)く成(な)れば、一寸(ちょっと)の悪(わる)き所(ところ)も逃(のが)さず強(つよ)く強(つよ)く行(おこな)い、今迄(いままで)見逃(みの)がし居(お)りし丈(だ)け強(つよ)く行(おこな)う。成(な)れば僅(わずか)づつ成(な)せば感(かん)ぜずも、一度(いちど)に行(おこな)わるれば苦(くる)しむ。此(こ)れ成(な)れば、今迄(いままで)思(おも)うが儘(まま)に悪(あく)を成(な)し来(きた)りし僧(そう)には、定(さだ)めし苦(くる)しかろうと思(おも)う。實(じつ)に嘆(なげか)わしき今(いま)の世(よ)や。月日星(つきひほし)は常(つね)と異(ことな)らずして世(よ)を照(て)すも、神佛(しんぶつ)心(こころ)に嘆(なげ)き満(み)ちて有(あ)り、常(つね)に案(あん)ず。神佛(しんぶつ)の人(ひと)を思(おも)う心(こころ)は、山(やま)よりも高(たか)し、海(うみ)よりも深(ふか)し。成(な)れど此(こ)れに感(かん)じて善(ぜん)に返(かえ)りて呉(く)れる人(ひと)も無(な)く、其(そ)れ常(つね)の如(ごと)く思(おも)い居(い)る人(ひと)も有(あ)り。實(じつ)に佛(ぶつ)は餘(あま)りの情(なさ)け無(な)さに、心(こころ)に血(ち)の涙(なみだ)絶(た)えず。今(いま)の世(よ)の人(ひと)を見(み)よ。神佛(しんぶつ)を無(な)しと云(い)う人(ひと)も有(あ)り。此(こ)れ自(みずか)らは思(おも)う存分(ぞんぶん)悪(あく)を成(な)し、乍(ひたす)ら佛(ぶつ)に浮(うか)べて呉(く)れと拝(おが)み、又(また)僧(そう)に金(かね)を上(あ)げ経(きょう)を讀(よ)みて貰(もら)い等(とう)し、浅(あさ)ましき金(かね)を貰(もら)いて喜(よろこ)ぶ僧(そう)の心(こころ)の賤(いや)しさにも驚(おどろ)く。
成(な)れど此(こ)れ貰(もら)いて喜(よろこ)ぶは下(した)の僧(そう)にして少(すこ)し、上(うえ)の僧(そう)に成(な)れば思(おも)うが儘(まま)を盡(つく)し、少(すこ)しの金(かね)は者(もの)と思(おも)わず。思(おも)えば悲(かな)し。嘆(なげ)かわしき今(いま)の世(よ)や。今(いま)の佛(ぶつ)の教(おしえ)の様(さま)かな。今(いま)は昔(むかし)の影(かげ)も無(な)し。月(つき)のみ僅(わずか)昔(むかし)を忍(しの)ぶ。月(つき)は青(あお)き光(ひかり)を人家(じんか)に投(とう)ず、世(よ)を哀(なげ)くが如(ごと)し。思(おも)えば昔(むかし)の佛世(ぶつせ)の楽(たの)しみ心(こころ)に浮(うか)び来(きた)る。此(これ)より来(く)る神(かみ)の世(よ)を待(ま)て。佛(ぶつ)も治(おさ)め初(はじ)めて又佛(またぶつ)も本(もと)に勝(まさ)りて治(おさむ)む。佛(ぶつ)は一心(いっしん)に神(かみ)の世(よ)を唯待(ただまつ)なり。

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