書けない日曜日
面白いほどに、書けない。
10月に入った。
まったく「書きたい」という気持ちが戻ってこない。
焦っているのかと言われると
焦らないと大変なことになるということは理解しているのに
気持ち的になぜか「焦る」という感情にはならない。
「最悪、書けなくてもいい」くらいの気持ち。
このままだと書けないまま、12月を迎えるかもしれない。
2度目の出展になる『文学フリマ東京39』は
新刊が一冊もない状況になるかもしれない。
いろいろ考えたり、メモだけが1000字、2000字、3000字、5000字と増えていくけれど、どうアウトプットしても形になろうとはしない。その言葉たちが、ただ暴れ出していて、まとまりがなくて、それに振り回される形で思考も落ち着かない。
何より、書いていても「あ、コレだ」という気持ちにならないのが、一番難しいなと感じるところ。ただ、それは、もうどうしようもないのかなとも思う。
無理やりに言葉を埋め込んで、どうにかして形にするという方法を取ることもできなくはない。イベントへの新刊という目的は作ったからこそ、そこに向けて本を「絶対に創るんだ」という気持ちもすごく大事だし、前回の5月に出展した文フリはまさしくその想いが結実して、ラスト2週間くらいで1冊が出来たりした。
その経験則は確かにあるから、今から自分を追い込むこともできなくはない。
けれど、それで創る本は、自分が納得したものにならないから
ずっと、一生誰の目にも留まらないメモ書きを何千字も書き連ねて、ただ、自分と向き合い続けていくことを続けている。
それの連続から、どこかのタイミングで納得した言葉や形が生まれる瞬間を、ずっと探して歩き続けている。
こんな風にもがくことが、本を創ることの、ひとつなのかもしれない。
もちろん、こんな風にもがきながら本づくりをしている方は、あまりいないかもしれないので、1ミリも参考にならない言葉を書き連ねているのかもしれないけれど。
それでも、ひとりくらいは「イベント出展は決まっているのに、なかなか書きたいものが描けない」ともがいている人がいるかもしれない。
そういう人に「ひとりじゃないよ」と、伝えられたら。
僕にとっても、救いになるから。
ほぼ、あと1か月くらいしかない。
ここから仕上げることができるのか。
完全に言葉が降りてきて、製作が本格的に走り出せた時は
またマガジンの枠を用意しているので、そちらで製作過程を書けたらなと思う。
もがいた日曜日。
ほぼなにも進まなかった日曜日。
今日はたくさん散歩した。
自分で作った音楽を聴いた。
すべてに意味を見出して
止まらずに進んでいこう。
ほんと、それだけだから。
また、次に書けたら、会いましょう。
では。