創造の土台の秘法。土台って私
ここにきて、ここまで「私」という土台の重要性に目を向けることになるとは思わなかった。
これまで、癒しや自己受容、心と魂の一致、様々な表現で伝えてきたことが別レベルで「ここに隙間があるとこうなるのか」という感じでありありと、自己内に分裂や分離があるとどのように影響するのかがわかってしまう。
それは実感を伴った気づきとして現れたのだった。
ポジティブに言えば、自分がしっかり見つめ続けてきた道程のあるポイントまで来たからこそ、「あれ? ここから先に進むには、このギャップを埋めないとどうにもならないぞ」と気づけたというか。
と同時に、そこまで細密に、私という土台は「ひとつ」になっている必要があるんだ、ということに改めて驚いたりもしている。
これは「心の中に様々な思いがあってはいけない」という意味ではない。
内に動きがあり変化があるという状態を否定するものではない。
たとえば何かひとつのことをずっと貫くようにと伝えているわけでもない。
ただ、どんなときでも、どんな自分自身を見ようとも、気づこうとも、完全な自己受容とでも呼べるものと一体になっている必要がある。
この副効果と言おうか、実践しながらこのことを意識しているうちに、興味深い発見があった。
これまで「私」という自己認識の置きどころや、意識フォーカスそのものを真の自己に固定させたかったときには「一時的にシフトしても、戻ってしまう」作用があった「私という視点の、真我への移動」が、より静かに自然に起こるようになってきたのだ。
真我とひとつになる
これはさっきもお伝えしたように、あなたの内に様々な思いを湧かなくするとか、感情やフィーリングを抑止するとか、そういう話ではないことに注意してもらいたい。
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