Toxicにならずに自分のヴァイブレーションに集中して新しい世界を創る

本当は自分がどうでもいいと感じていること、平たくいうと自分の調和したヴァイブレーションじゃないな? と気づきながらも何かにわざわざ関わることにすると、その後に必要になる「ズレ修正という余波」が大きくなってきてるなぁというのが今の私の感想だ。

一見、新しい何かに関わってるつもりでも「本質的には後ろを振り向いて、旧自分の延長のつもりでそれをしてると」今の自分のヴァイブレーションとは違いすぎるので、そのギャップによってガクン! と路上の岩につまづき一時停止せざるをえなくなる故障が生じる、という感じ。
その道、行かなくてよかったのに……あらら、ほんのちょっとの「うん、私の純粋なヴァイブレーションとはだいぶ違うけど、これくらいならいけるよね?」との「自分自身が、自分の内との不一致を見くびる」甘さによって、こんなにしばらく休止せざるをえないほどのエフェクトとして出てしまうんだ……と、その後に驚くことになるんだ。

これはあなたが「恐れから慎重になりすぎる姿勢」を招くための話がしたいわけじゃなく、「自分にとって調和・整合してる行動を選ぶ責任」の話なんだと思ってほしい。
たとえ、「旧自分ならこうしてたかも」という何かがあっても、今の自分はすでに違うヴァイブレーションであるなら、今の自分は別人なのだ。

自分自身にはそれがわかっているのだから、今の自分であること以外の何かを選ぶと、「あなたがあなたを生きること」から逸れてしまう。
自分があえて、そういう「自分を不調和にするチョイス」、言い換えると「toxic(有害な)選択」をするということになるんだよ。

このことについて、私たちは真剣に考えなきゃ。
だって、あなたを不快にさせることができる者も、そして、そんな不調和な状態のあなたによって「世界を不調和にできる者も」、あなた自身にいないんだから……。


Toxicな選択と、そうしてしまったときできること。

toxicな選択とは、単純にいって、自分自身である「以外のこと」をすることで、自分の本当の調和以外の選択を「行為にあらわすこと」でもある。


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