殺人罪における故意と殺意の関係性
今回はタイトル通り、殺人罪における故意と殺意の関係について検討し、私見を示してみたい。
先に結論から示すと、Twitter(現X)でも少し投稿した通り、構成要件的故意については殺意と同じものと考えて良いだろうが、責任故意については区別すべきだろう。
なお、司法試験等の答案上は、故意と殺意について両方言及しておいた方が無難であろう。
では、以下理由を述べる。
まず、構成要件的故意とは、構成要件的結果発生についての認識認容をいう。
殺人罪においての構成要件的結果は人の死亡である。
すなわち殺人罪における構成要件的故意の内容としては、人の死亡結果が生じる事についての認識認容が要求されるという事になる。
一方、殺意とは、人を殺す意思、すなわち人の死亡結果が生じる事についての認識認容であると考えられる。
このように、殺人罪における構成要件的故意と殺意は結局の所、同じものと考えて良い。
したがって構成要件的故意が認められるが殺意が認められないという場合、あるいはその逆で、殺意は認められるが構成要件的故意は認められない場合、は観念できないだろう。
ところが、責任故意については話が少し変わってくる。
責任故意とは、違法性阻却事由不存在についての認識認容をいう。
つまり、正当防衛(刑法36条1項)等、違法性阻却事由が存在すると考えていた場合責任故意が阻却されるのである。
そのため、殺意は認められるが責任故意は認められない、という場合は観念できる。
その典型が誤想防衛である。
急迫不正の侵害があると誤信し、自己の身を守るためには相手を殺すしかないと考えて、実際に相手を殺害したが、実際には急迫不正の侵害が存在しなかった、といったような場合である。
以上がこのテーマに対する私見である。
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