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福岡市美術館(文化の日) #後半

予定が立て込んでいて間が空いてしまったが、後半を書きつくろうと思う。

前回の記事はこちらから↓

前回はコレクション展について述べたが、今回は企画展「あらがう」などについての感想を述べる。

アーティストは石原海(いしはらうみ・1993~)、李晶玉(リジョンオク・1991~)、寺田健人(てらだけんと・1991~)である。

「あらがう」ポスター
アーティスト名を記す赤が差し色になっている。

福岡市美術館のホームページではじめて石原海さんの作品の画像を拝見したとき、宗教画を背景に天使の翼が生えた老婆のビジュアルがとてもかっこいいなと感じ行くことに決めたのだ。

(福岡市美術館公式サイト)

企画展「あらがう」入口
文字が切断され、位相がずれたデザインになっている。

一貫したテーマは戦争あるいは宗教についての記憶であると感じた。

李晶玉 RI Jongok 1991年東京都生まれ。在日朝鮮人3世という立場から国家や民族に対する横断的な視点と、絵画とコラージュを組み合わせた手法による作品を展開しているアーティスト。出品作品では、青空を背景に、広島に原爆を落とした爆撃機エノラ・ゲイの内部を描き、戦争によってもたらされることへの想像を促そうとする。

公式サイト企画展パンフレットより
李晶玉《Elona Gay》2022
李晶玉《Dome》2022

《Dome》は多くの人が広島と長崎に落とされた原爆を想起するだろう。日の丸のような中央の赤い丸と富士山が日本を象徴している。私はその線の鋭さやモチーフからどこかAKIRAが思い出された。


石原海 ISHIHARA Umi 1993年東京都生まれ。コミュニティや社会から疎外された人々を描くことをテーマに。個人的な記憶と社会問題を織り交ぜた映像作品を制作するアーティスト。北九州市にあるキリスト教会に集う人々が聖書劇を作る日々を記録した出品作品では、苦難を抱えながらも懸命に生きる人々の姿を希望とともに描いている。

公式サイト企画展パンフレットより

石原海《重力の光》は映像作品で、アーティストのステートメントがくだけた言葉だったのが印象的だった。映像は椅子に座って鑑賞する形式で、巨大なスクリーンに映し出されていたのだが、赤い光のスポットライトが空間をゆっくりと彷徨っていて、スクリーンや床などが照らし出される演出が独特の空気感を醸し出していた。映像は北九州の教会に通う日本人のキリスト教徒の独白だった。人物の独白と交互に聖書の場面を模倣した映像が流れる。

日本にいると日本人のキリスト教徒に出会うことがほぼないため、日本にもこうやって一見普通の人がキリスト教を信仰しているのだと最初は不思議な気持ちになった。話を聞いていくうちにこの人たちはいわゆる一般的なサラリーマンや学生ではないことが分かって、この教会が社会の逃げ場、駆け込み寺になっているのだと思った。社会の制度としていくら福祉を手厚くしてもそこからこぼれ落ちていく人々は存在する。そういった人々を救うのはこういった教会のコミュニティやNPO団体、自治会などではないだろうか。丁寧に映し出された聖書の模倣も非日常的で引き込まれた。石原海さんの他の作品も鑑賞してみたいと感じた。


寺田健人 TERADA Kento 1991年沖縄県生まれ。ジェンダー役割など社会が作り出した規範を内面化して、人が思考や行動を決定することをテーマに、写真やパフォーマンスを軸に表現するアーティスト。本展では、沖縄の風景と薬きょうを組み合わせたシリーズ作品で、沖縄に残る戦争の傷と記憶を提示し、継承しようとする。

公式サイト企画展パンフレットより

外から見えた中庭には李禹煥の作品が。
ちなみに美術館全体は前川國男建築。
李禹煥《関係項》2004
中は入れないようになっていた。

また一階では「東光院のみほとけ」、「僊厓展」、「松永耳庵と福岡ゆかりの品々」という三つの古美術のコレクション展が開催されていた。私は一時期博物館でアルバイトをしていて古美術に触れていたので、以前より日本の古美術に馴染みやすく、久々に拝見しても仏像はやはり存在感があるなと感じた。特に薬師如来坐像は信仰の対象であるためだろうが、独特の空気感が漂っている。

宗栄(生没年不詳)《金剛力士立像(阿形)》
南北朝時代 正平22年(1367)

近代美術、現代美術、古美術などさまざまなジャンルの有名な作品を所蔵している美術館という印象を受けた。駅から少し離れた立地だが大濠公園の散策も楽しめるのでぜひ行ってみてほしい。

2024/11/22
S.Hanatsuki


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