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従業員インパクト会計がもたらす新たな可能性


こんにちは、グローネクサスの小出です。


ここ数年、「人的資本経営」や「人的資本開示」という言葉を目にする機会が増えてきました。


企業が人材にどれだけ投資しているか、どんな取り組みで従業員の成長や健康・幸福を支えているかを情報開示する動きが、国内外を問わず加速しています。


その背景には、企業価値を測る際に、従来の財務指標だけでは捉えきれない部分があるという認識が広がってきたことが挙げられます。


自社の従業員をはじめ、多様なステークホルダーに対して健康や福祉をどれだけもたらしているかが、企業価値の根幹を支える重要な要素となりつつあります。


本記事では、「人的資本の社会的インパクトを金額として可視化する」ことがどう人的資本経営につながるのかを考察してみたいと思います。




1. 従業員インパクト会計とは?


まず大前提として、「従業員インパクト会計」が何を目指しているのかを簡単に整理してみます。


これは、単に従業員の賃金や研修費用などのコストを集計するだけではなく、人的資本への投資が企業や社会に対してどのような金銭的・非金銭的成果をもたらしているかを“見える化”する試みです。


人的資本経営:企業が人材を重要な経営資源として捉え、教育・育成や健康維持などに積極的に投資を行い、その成果やプロセスを外部に開示していく考え方。


従業員インパクト会計:「人的資本投資のアウトカムを財務指標に転換し、社会的インパクトを含めて評価する」フレームワーク。


この従業員インパクト会計が実装されれば、企業の“人への投資”が具体的に企業価値や社会価値をどれほど高めているのかが定量的に示され、投資家や社会からの評価もより正確になっていくと期待されています。




2. エーザイの取り組み事例


ここで、2019年度より「従業員インパクト会計」を導入しているエーザイの取り組みを見てみましょう。


エーザイの当時のCFOであった柳良平氏とハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のジョージ・セラフェイム教授のチームは、Impact-Weighted Accounts Initiative(IWAI)の日本における最初の事例として、2019年度のエーザイの「従業員インパクト会計」を試算しました*1*2。

*1出典:柳良平「従業員インパクト会計の統合報告書での開示」(2021年資本市場研究会「月刊資本市場」9月号)

*2エーザイの「従業員インパクト会計」の試算の前提は次のとおりです。

・今回の計算ではエーザイ単体(日本)を取り扱っており、海外の従業員は含んでいない。基準日は2019年末。従業員総数は3,207名、年間給与支払総額(12月基準で年換算)は358億円、平均年収理論値は1,114.8万円。12月末基準で年換算しているため、2019年度有価証券報告書(3月末基準)の開示ベースの平均年収と厳密には一致しないが、概ね等しい水準となっている。

・エーザイ単体の売上収益、EBITDAは、セグメント情報から一定の比率で按分。正式のエーザイの個別財務諸表とは一致しない。日本の親会社がパートナーからのマイルストーンを収益認識する金額が多い一方で、海外子会社の研究開発費を本社から補填するなど、特殊な会計処理が正規の財務諸表に大きく影響してしまうため、セグメント情報から「実力理論値」を試算した。



1. 従業員へのインパクト
1) 賃金の質 343億円
賃金の質とは、給与総額ではなく、年収に合わせた限界効用と男女の賃金格差を調整したものです。
HBSがエーザイの従業員の満足度を計算した結果、従業員の給与満足度の飽和点は1,190万円(加重平均)となりました。つまり、それ以上の年収の従業員給与には限界効用逓減の法則から価値創造を減額(年収が高いほど満足度は100%とはならず低減していく)しています。
また、階層別・役職別の男女賃金差を算出し、女性従業員が男性従業員よりも平均給与が低い部分を減額して調整しています*3。
その結果、給与総額358億円に対して、社会的インパクトを創出する「賃金の質」は343億円となりました。*3
国内企業平均との比較では、エーザイの相対的な男女賃金差は小さくなっている。例えば、日本企業の平均では中間管理職の女性賃金は男性の89%であるが、エーザイの女性中間管理職の賃金は男性の96%となっている。


2) 従業員の機会 -7億円
従業員の機会とは、昇格昇給における男女差を調整したものです。機能別・職階別に男女比率を算出し、女性管理職比率*4がエーザイ全体の女性従業員数の比率である23%になるように昇進昇給を平等化して試算したギャップを控除しました。その結果、社会的インパクトは7億円の減額となりました。*4
試算当時のエーザイ全体の女性管理職比率は10%


2. 労働者のコミュニティへのインパクト
1) ダイバーシティ -78億円
ダイバーシティとは、日本とエーザイの労働人口の男女比を調整したものです。エーザイの女性従業員比率を日本の女性人口比率51%まで高めるため、不足分の909名をエントリーレベルで新規雇用したと仮定して試算しました。その結果、社会的インパクトは78億円*5の減算となりました。*5
女性従業員不足数909名×エントリーレベルの平均年収8,549千円=78億円


2) 地域社会への貢献 +11億円
地域社会への貢献とは、エーザイ従業員の雇用が地域社会に作り出す社会的インパクトを試算したものです。エーザイ従業員の勤務する全都道府県のそれぞれの失業率とエーザイの従業員数、エーザイの平均年収と各都道府県の最低生活賃金の差分、これら3つを掛け合わせたものです。その結果、社会的インパクトは11億円の加算となりました。

これらの加減算の結果、エーザイ単体の給与総額358億円のうち、269億円が「正の社会的インパクト創出」として認識されました。「人財投資効率」は75%(269億円/給与総額358億円)であり、HBSの試算した米国優良企業と比較しても遜色のない高さとなりました。

以上、エーザイ株式会社HPより
https://www.eisai.co.jp/sustainability/society/employee/impact/index.html




3. 非財務情報としての“社会的インパクト”を金額換算する意義


3-1. なぜ金額換算が大事なのか?


従来、人的資本や社会的インパクトは「大切だ」と言われつつも、投資家やアナリストに訴求しづらいという問題がありました。

理由はシンプルで、「財務諸表のように具体的な数値や指標として示されにくい」から。


しかし、もし社会的インパクトをある程度の根拠を持って金額換算できれば、


  1. 投資判断に組み込みやすい

  2. 企業価値に反映させやすい

  3. 実行者(経営陣・人事部門など)のモチベーションが上がる


といったメリットが期待されます。


3-2. “社会的リターン”を経営計画に組み込む可能性


企業経営では売上や利益、ROE(自己資本利益率)などの財務指標が重要視されますが、今後は「社会的リターン」の概念を経営計画に織り込む企業が増えるかもしれません。


  • 「従業員に投資することで、○年後までに社会全体の医療コストを△円削減できる見込み」

  • 「当社のサービス・製品で救われる患者数は〇万人、経済価値にして××円」


こうした目標を掲げることで、ステークホルダーとのコミュニケーションがより具体的になり、企業活動と社会のニーズが繋がるストーリーが生まれやすくなります。


社員の健康やQOLが投資成果として金額化されると、人事施策が再評価される時代が来そうですね




4. 今後の人的資本経営におけるストーリーの可能性


ここからは、エーザイのように「従業員インパクト会計」に本格的に取り組んだ企業が、どのようなストーリーを描けるかをいくつかの視点で整理してみます。


4-1. 投資家・株主向けの開示と評価


ストーリー例: 「当社は社員の健康・成長への投資を中心とした戦略を推進し、結果として新薬開発のスピードアップや疾病治療の効果向上を達成。これにより社会全体の医療費を年間○○億円節約できた見込みです」


このように具体的な金額と成果指標を組み合わせたエビデンスを開示することで、ESG投資家や長期的視点を重視する株主との信頼関係が深まり、株価の安定・向上に繋がる可能性がある。


4-2. 社員・求職者へのメッセージ


ストーリー例: 「当社は従業員のキャリア形成や健康維持に積極投資しており、その結果として離職率が○%低下、1人当たりの生産性が△%向上しました。今後はさらに従業員エンゲージメント向上施策を行い、社会への貢献価値を高めていきます」


社員自身が「自分たちの働きが、どのくらい社会にインパクトを与えているか」を数値で把握できるので、仕事への誇りや愛社精神が生まれやすい。優秀な人材の採用にもプラスに働く。


4-3. 社会・行政へのアピール


ストーリー例: 「当社の人的資本投資によって開発された新しい治療薬や疾患啓発活動が、自治体や医療機関で活用され、医療費削減や患者QOL向上に大きく貢献しています。社会全体の経済効果は年間○○億円と試算されます」


行政や公共機関、NPOなどとの協業が進みやすくなり、企業としての社会的責任(CSR)やSDGsへの取り組みとしても高い評価を得られる。




5. 今後の展望と課題


もちろん、社会的インパクトを金額に直結させることには、測定の難しさや評価基準の統一性といった課題もつきまといます。


QOL向上をどのようなアルゴリズムや基準で換算するのか、どの範囲まで企業の影響とみなすのか――こうした議論はまだ道半ばです。


一方で、国際的な会計基準やESG投資の潮流もあり、人的資本の「見える化」は避けられない大きな流れです。


企業間の競争も、従業員の健康やスキルアップ、さらには社会全体への貢献度合いで差別化を図る時代に突入してきています。


今はまだ「従業員インパクト会計」という言葉が浸透しておらず、国内でも事例が限られていますが、人的資本経営の深化とともに社会的インパクトを金額換算する動きは今後さらに広がっていくのではないかと考えています。


エーザイの取り組みを例に見てみると、従業員の健康やモチベーションが、新医療費削減といった社会的課題解決に直結し、そのインパクトをさらに金額換算できるようになる可能性を感じます。


こうしたポジティブな循環がほかの業界にも波及し、人的資本経営の“次のステージ”が切り開かれることを期待したいですね。




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
自社で、人的資本経営の検討にお悩みの方は、お気軽にお問合せくださいませ。

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