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流行ってはいけない、伝統の味。創業から100年を超えて御栗菓子「松月堂」に受け継がれるDNA【松月堂Vol.1】

「おかしは、ココロを満たすもの」。

栄光堂 グループが掲げているコーポレートスローガンです。
このスローガンに基づいて日々さまざまな商品やサービスが生まれています。この「note」は、現場で働く従業員の目を通してスローガンのもとで取り組んだ「商品・サービス・仕事」を語ってもらう事で、栄光堂グループをもっと知っていただくきっかけになればと思い始まりました。

 「お客さまのココロを満たすための選択肢は、一つでも多い方が良い」。
そう考える栄光堂グループは、後継者がいない和菓子屋さんをグループに迎え、お菓子文化と美味しさの継承のためともに歩み続けています。

2022年に栄光堂グループの一員となった御栗菓子「松月堂」は、1907年の創業の栗菓子専門店。100年以上受け継がれたその味は現在も変わらず、昔ながらの素朴でありながら飽きのこない上品な味わいを追求しています。創業から愛され続ける人気の秘密は、味への並々ならぬこだわりです。
大量生産をせず手づくりと素材にこだわりながら、新しいチャレンジを行っています。今回は、松月堂の吉村和子顧問と、娘で取締役の吉村麻耶さんに松月堂が大切にしている事について話を聞きました。


取締役 吉村麻耶さん

100年以上続く手づくりの味


―松月堂の歴史について教えてください。

吉村和子顧問(以下、顧問):発祥は、長野県飯田市の和菓子屋「和泉庄(いづしょう)」です。店のお嬢さんと番頭だった私の祖父が結婚し、故郷である中津川に店を構えたのが始まりです。中津川は栗の一大産地で今では和菓子屋が多いですが、他所のお店の発祥はおせんべいやお酢など。生菓子を突き詰めてやってきたのは松月堂だけです。

松月堂初代店舗(明治40年頃)

 ―松月堂が有名になったきっかけは何だったのでしょうか。

顧問:3代目の私の夫が百貨店販売に進出したことでしょう。中津川でも和菓子屋が増えてだんだんと競争が激しくなり、店頭販売だけでやっていくのは難しくなっていきました。そこで3代目が一大決心し、大阪の大丸百貨店に商品を出したんです。それから東京の小田急百貨店と取引が始まりました。おりしもバブルの時代でギフトなどに多く利用していただいて、それまでただの町のお菓子屋さんだったお店を、たくさんの人に知っていただけるようになったんです。有難いことに商品を出せば売れる状態で、何年も毎日完売が続きました。

 ―3代目が商売を大きくされていったのですね。

 顧問:3代目はもともと職人ではないんです。呉服屋の息子で婿入りしてきました。異業種出身だからこそ、たくさん勉強したと思いますし、外から入った人間ならではの視点で、いろんなアイデアを考えてくれました。当初は栗きんとんだけでしたが、3代目が商品を開発し品数も増やしていきました。出張すれば百貨店に並んだ和菓子をくまなく見て、今どんなものが流行っているかを欠かさずリサーチしていました。


左 吉村和子顧問          右 三代目 吉村 秀仁さん

異業種経験からの視点で商売を大きく

 ―3代目はどんな方でしたか?

 顧問:何も相談せず、すべて頭のなかで考えてしまう人でした。こういう商品がつくりたいと思うと、売れるかどうかもわからないのに包装まで全部つくってしまう。

 ―商品開発者のお手本のような方ですね。

吉村麻耶さん(以下、麻耶):父は、大々的に広告を打たないというのもポリシーでした。新商品をつくっても宣伝せず、しれっと店頭に並べる。メディアに取り上げられても吹聴しない。むかし、昭和天皇に「栗の雫」という、栗きんとんに松露をまぶしたお菓子をご提供したことがあったのですが、絶対に宣伝に使わなかった。普通は天皇陛下に召し上がっていただいたら宣伝しますよね。

栗きんとんに松露をまぶした菓子「栗の雫」

―味だけで勝負していたのですね。

麻耶:「お菓子屋は本当に楽しい」と言っていたのは、子どもながらに覚えています。父(3代目)は、お菓子自体はそんなに好きではなかったんじゃないかな。でも、自分が考えた商品が喜ばれて、売れていくのが嬉しかったんだと思います。よく「流行っちゃいけない」とも言っていました。流行ると終わりが来てしまうからです。維持していくことが一番大切で、一番難しいこと。父は流行らせてはいけないというプライドがあった様に感じます。そのプライドを貫いたことで今があると思っています。

白衣姿の三代目

受け継がれる、素材にこだわりぬくDNA

 ―松月堂を守っていく上で大切にしている事は何ですか?

顧問:歴史を守っていくということは、味を落とさないということ。品質を落とさないことを念頭に、素材は本物にこだわり続けています。また、歴史をつないでいくためには新規の顧客獲得だけでなく、これまでのお客さまを大切にすることも大事。そのため、包装も格調高いものにすることにも3代目はこだわっていました。娘はそれを受け継いで新商品の開発に取り組んでくれていると思っています。

 ―新商品は主に麻耶さんが開発しているのですよね。

 麻耶:父と似ていると言われるんです。私も「こんなお菓子は面白いな、食べたいな」と、想像したところから始まっていろいろ一人で考えてしまう。特に素材へのこだわりは父のDNAが受け継がれているなと感じます。



―例えばどんな商品にこだわりが表れていますか?

 麻耶:『抹茶栗きんとん羊羹』は、きれいな緑色が出るよう最高級の抹茶にこだわりました。抹茶のお菓子って緑色に着色されているものもありますが、これは抹茶本来の色。味も、栗きんとんと羊羹のどちらも楽しんでもらえるよう甘すぎない餡にするなど、シンプルななかにこだわりが詰まっています。

抹茶栗きんとん羊羹

―これからも伝統を守っていく上で心掛けていることを教えてください。

 顧問:機械に頼りすぎることなく、商品そのものを深く理解したなかでたくさんの方にお届けすることを一番に考えています。

 麻耶:最近は見た目などインパクトのあるお菓子が流行っています。 時代に合わせた見た目や味も取り入れながらも、見た目だけにならないように素材そのものの美味しさで食べてくれた人の驚きと感動を与えられるお菓子をつくり続けていきたいと思っています。

松月堂の商品についてご覧になりたい方はこちら

Vol.2に続きます。

取材・編集協力:株式会社UP SPICE(https://www.up-spice.co.jp/



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