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#53 「正義」と北極星 / Be a Fragment of the Truth
思えば幼い頃は「正義」というものがシンプルだった気がします。時代的にも、アニメの主人公が決まって「正義」でした。
それが次第に、誰の立場にも正義があると描かれるのが普通になりました。むしろ、多様性なき正義こそが平和を脅かすという感覚を養うことは、とても良いことだったように思います。
そんな世界観を次のステージに運んでくれるのは、次のような視点かもしれません。
しかしそれでよいのでしょうか。正義は人それぞれだ、とは言っていられない現代社会において、私たちはまさに、正義についてクリアに考え直すことを必要としています。
正義については多様な考え方があり簡単に決着はつけられない、ということこそが、ロールズの『正義論』の出発点でした。
Yahooニュース
たしかに。改めて考え直すと、「他人は他人、自分は自分」が最適解だと思われたのは、情報を集約して処理する能力の限界があったからであって、この先も「人類の共通解としての正義」が築けないとは言えないな(情報化の時代に過去の感覚を持ち込む必要はないかもしれないな)、と気付かされます。
(ロールズの正義論がそういう意図かは知らないけれど)
それは私がこのnoteで書いている、個人の夢や目標ではなく、「美」というコンパスを使って人類共通の北極星を探す話と何処か共通点を感じます。(というか、同じかもしれない)
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多様なのかもしれない
テクノロジーこそが究極であるという見方もあるようですが、個人的には、今のところ懐疑的です。
なぜなら、今のところテクノロジーは、人間が抱くビジョンの上に成り立っているからです。例えば、富めるものが富める世界を描けば、その価値観に合わせて未来はデザインされていくはずです。
だからこそ、一人一人が未来を考えて多様性を結集させることが、今の時代に求められていることなのかな、と思いました。
Be a Fragment of the Truth
星屑のように煌めく夢を見て