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推し、燃ゆ/宇佐見りん

一気読みして呆然として思考の出力のための言葉が全然追いつかず打ちひしがれるという実感を経て、これもうへたに他の穏やかな本を読んで中和するより何が何でも言語化してしまうほうがずっとスッキリするなと思い至ってnoteをひらいて今です。こんにちは。

前回の記事から間が空いてしまいました。
ふと思い立って森博嗣の好きなシリーズ本4冊を一気に再読したりプロレスを観たりなどしているうちに気付けば新しい年も始まっていて、光陰矢の如しそのまんまの体感速度に驚くばかり。
改めて、あけましておめでとうございます。
きっと2021年もこんな感じで書きたい時に書いていくスタンスだと思いますが、よかったらお付き合いいただけますと幸いです。



宇佐見りんさんの著作『推し、燃ゆ』の話をしようと思ったんです。
昨年末に読んだ読友さんの感想きっかけでこの本の存在を知って、12月31日に最寄りのスーパーに買い出しに出かけたついでに本屋さんに寄って買って。
でもタイトルからしてエグそうだと思ったので、2021年の1冊目にするのはやめて2冊目として手に取ったわけですが、読んでみたらしっかり純文学でなるほど芥川賞候補作か…と納得した次第。
取るんじゃないですかね芥川賞、って他の候補作を読まずに言うのはずるいかな。でも壮絶な一冊だと感じたんですほんとに。
引用も最小限にして、結末のネタバレもしないように書いてみます。



サリンジャーの著作『ライ麦畑でつかまえて』の巻末に訳者の野崎孝さんの解説が載ってるんですが、その中にこんな文章があるんですよ。

この文体ーーホールデンが自分の体験を語ってきかせる、その言葉つきーーこれは、五〇年代アメリカのティーン・エージャーの口調を実に的確に捕えていると推賞され、遠い将来には、この時代の口語を探る絶好の資料としても読まれるであろうと評されている

サリンジャーは海外作家の中では一番好きで、この『ライ麦畑でつかまえて』も、ホールデンに語り掛けられる文章を向かい合ってお話を聞くように読めるのが心地良くて何度も読んでいます。
なので解説の野崎さんのこの文章もしっかり覚えていました。
とはいえ元は英語で書かれたものを日本語に翻訳された状態で読んでいるので「この時代の口語を探る絶好の資料」という賞賛も、これまで言葉だけでしか受け止め切れていなかったんだと思います。

『推し、燃ゆ』の最初の数ページ、いやもう何なら最初の一ページ目を読んだところで、あの時野崎さんが『ライ麦畑~』に対して述べていたのはこういう事だったのかな、と連想したんです。
現代まで読み継がれる普遍的な名作に対して受ける感銘がある一方で、同時代を生きる著者によって書かれた作品をリアルタイムで読んで受ける感銘もある。それを深く実感できたのが素直に嬉しい。

無事? メッセージの通知が、待ち受けにした推しの目許を犯罪者のように覆った。

同じ時代に生きているという事は、それだけで情景描写を始めとした様々な共通言語を持っている事。
令和のまさに今この時代を書いた文章だと、頭の中で展開される映像の鮮明さとリアリティに胸震わせながら思いました。

推しを推す事で得られる充足と平穏。
と同時に高校生として、妹として、娘として、様々な場面で描かれる、推しに関する事以外の日常。
別の世界だとか理解できないとかの決めつけで拒絶するのは損だと思う。紛れもなく「今」を書いた作品です。





※下記リンクは読書メーターに書いた感想。ネタバレを含むというか、読了した人になら伝わると思われる記述もあります。



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