アニメ映画『トラぺジウム』個人的レビュー
はじめに
初めまして、竜崎彩威(りゅうざき あやい)と申します。
映画プロデューサーと映像作家の両方を目指して、様々な活動・創作をしている者です。
今回は『トラぺジウム』を観たので、そのレビュー記事を書こうかなと思います。
あくまで個人的なレビューになりますので、他の方の解釈も間違いではないということだけ、念頭に置いておいていただけますと幸いです。
では早速。
第一印象
観終えた初感を一言でいうなら、「題材はよかったが、描き方がよくなかった」と感じた。
某映画レビューサイトで評価付けをするなら星3.2くらいかなと思った。
より単純な感想で言うなら、微妙…というよりは惜しいと感じた。
では、具体的に分析していきたいと思う。
分析①主人公の描き方
この映画の最大の特徴とも言えるのはやはり、主人公の奇抜さだと思う。
劇中では、夢に対して年相応ではない純粋さを持つ主人公が、自己中心的な考えで周囲を振り回していく様子が描かれていく。自らの手でアイドルグループを作り上げ、自らの手で壊していく。その展開・設定に異質さ、特別感を感じていた。
この題材は唯一無二のものであると感じたし、何より原作者の過去の経験や想いといった要素が直に伝わるものであり、この物語の核であったとも感じている。
しかし、その原作の良さとも言えるものに対する映像化のアプローチがあまり良くなかったのではないかと考えている。
その理由は、物語の軸を主人公に据えていなかったからと感じる。
全体の印象としては、この映画の軸が物語の展開そのものに据えられていた印象だった。登場人物たちを傍観し、物語全体の展開で感情移入させようと仕向けている印象を受けていたが、そのアプローチは今作では向いていなかったのではないかと考えている。個人的には、主人公と感情が同期するように描くと良いのではなかったかと考えている。
今作の主人公は奇抜な設定を持っているが、バックボーンエピソードについては深く掘り下げておらず、かつ主人公の決定的な心理描写が少なかったこともあり、主人公の感情を理解することは従来の映画よりも遥かに厳しかった。
夢や目標に忠実になりすぎて、焦り、逸り、いつの間にか人を傷つけてしまっていた。このことは誰もが一度は経験したことのあることだと思う。その点を強調させるように構成すると、観客の感情がより主人公の感情に同期できるのではないかと考えている。
また、コンテワークにおいても、基本的に主人公を第三者視点で描いているように感じた。引き画で見せるシーンが多かったり、主人公の本心を感じさせるような画的な要素も少なく感じた。
コンテワークを含め、他の部分でもそうなのだが、主人公の心情の側面が見えなさすぎると感じた。全編を通して、主人公の言動が若干本心ではないようにも感じていた。
主人公がどう感じているのか…。
どれほど夢に恋い焦がれているのか…。
どれほど努力してきたのか…。
なぜ東西南北の少女を集めなければならなかったのか…。
夢を実現させることは物語の世界の中ではどれだけ難しいことなのか…。
主人公がアイドルになりたいということは分かっても、それに対する想いの重さや必死さが伝わらなければ、主人公の自己中心的な言動を理解することができないと感じていた。その部分が全く描かれていなかったわけではないが、セリフだけで完結されていたりして、説明が不十分だったかなと感じた。
加えて、主人公の自己中心的な言動で周囲を振り回した時の、周りの少女たちの様子をしっかりと描いてしまっていたのが逆効果、ダメだったのでは、と考えている。
チームが解散してしまうきっかけとなった出来事に向かうにつれて、主人公が活躍することに対して焦る気持ちを強調させれば、主人公がなぜそのような言動を取ってしまったのか、という点において観客の感情が追い付いてくれると感じた。
その強調させる手段の一つに、周囲の反応を描かないという方法があったのではないかと考えている。
観客が周囲の嫌がる反応を見てしまうと主人公に対して「気付いてあげなきゃダメだよ」と感じてしまう。
そしてチームが仲違いすると「そうなるに決まってるでしょ」と常に他人事のような感想しか出てこないと思った。
主人公が焦るにつれて、観客が知る情報量も減少させ、主人公の感情に関する情報を多く伝えていれば、より主人公の感情に観客の感情を追いつかせることが可能だったのではないかと考えている。
総じてまとめるに。
主人公にまつわる情報量を増やし、他の少女たちにまつわる情報量を減らす。その結果、観客も主人公と同じく夢に忠実な状況に陥り、物語全体の感情の起伏に観客の感情を接続させることができるのではないかと考えている。
分析②完結しない会話シーン
この映画はとにかく会話が完結しないシーンが多すぎる、と感じていた。
主人公が何かを言われる
⇓
俯く
⇓
次のシーンへ
…という展開が多すぎて、すべてが意味深に感じるし、メリハリがなく、シーンごとが分断されているように感じる。特に主人公が黙りこくってしまい、終了するシーンが多かったが、その影響で主人公が何を考えているのかが分からず、観客は「主人公に感情移入をしてもよいのか」を常に窺うようになってしまっているのではないかと感じていた。
主人公の感情も見えなければ、他の少女たちの主人公に対する本心も見えず、決定的に観客を揺るがしてくるような(自分事のように感じさせる)言動がなく、全体的にボヤっとした印象で全編を見ていたようにも感じている。
分析③芝居臭さの残る描写・台詞
アニメーション作品では珍しく登場人物たちが芝居をしているように強く感じた。
何か行動をし、決めポーズをするかのようにしてから発言することが多いこともあり、年相応でないキザっぽさを諸所に感じていた。そして、それに対して周囲が何も言わない気味の悪さが常にある印象だった。
特に主人公とカメラマンの少年のカフェでの会話シーン。あそこの芝居臭さは拭えなかった。笑いかけたら笑い返す。シンプルな切り返しのコンテワークも相まって、登場人物が本当にそんな言動をするか…(?)という疑念が残るように見受けられた。
分析④尺の短さ
全体的に観客を物語へ没入させるための説明の不十分さを感じていた。とにかく展開に必要なシーンだけを詰め込んだ印象がある。
不必要なシーンを含んだ映画は何本も見たことがあるが、逆にここまで余白のない映画はあまり見たことがなかったので、「こういう印象になるのか」と勉強になった。
余白がないと何がいけないのか。
それは登場人物が機械的に見え、心情が見えなくなるからだと思う。登場人物の言動のすべてが次の展開に向けた準備であるようにしか見えなくなる。それは物語のリアリティ度を著しく下げ、かつ登場人物への感情移入の難易度を上げていると感じた。
分析⑤単調な演出
④の尺の短さにも通じるが、映像演出がほとんどセオリーのままだった。ほとんどのカットが説明的すぎるからこそ、登場人物たちが言わされてる、動かされている、といった印象を更に強く受けた。
ちなみにこれはかなり個人的な趣向だが、単調な演出で進む映画は見終えた後に印象に残ったカットがないことが多いと感じている。本作でもキーポイントとなるシーン(カット)はいくつか存在していたが、どれも印象が薄く感じている。
映画の内容を思い返すきっかけとなる材料がないことは、その映画自体への評価の低下に直結すると、個人的には考えている。
分析⑥ライブパートのCG描写
これは仕方ないのかもしれないが、やはり作画を主体とするアニメーション作品でライブシーンみたいなクローズアップもするシーンでセルルックCGを用いるのはどうしても興が冷めてしまう。
ライブシーンは作画コストの高さや自由なカメラワークを求められるため、CGの方が適しているように思えるけれど、観客側からすると、どうしても画面の違和感が拭えないと思った。これは昨年公開された立川譲監督作『BLUE GIANT』でも感じたことだ。他のすべてが良くても、映画を見ている時に観客に感じさせてはいけないのは”違和感”だと個人的には考えている。観客が”違和感”を感じてしまうと、映画という魔法の時間(没入感)は途切れてしまう。
TVアニメ『推しの子』はその点、ライブシーンを作画でほぼすべて乗り切ったからこその没入感があったと感じている。
様々な都合が積み重なって、「ライブシーンはCGでいこう」決まったはずだから、簡単な話ではないけれども、その違いだけで作品のポテンシャルが殺されてしまうのだと、改めて実感できた。
総括
ここまでほとんど褒めていないのですが…。
この作品は題材(テーマ)が素晴らしく、個人的にも強く興味を惹かれるものを持っていると感じていた。何度も繰り返すが、主人公の奇抜さはピカイチで、それに魅力を感じる観客も少なくないだろうと感じている。
しかし、その作品の魅力を活かしきれていないようにも感じた。映画内では完結しない要素も多いなと感じたので、原作小説が読んで、内容を補間したくなるような感想を持った。
作画に関していうと、けろりらさんの絵柄は良くも悪くも印象が強いなと感じた。けろりらさんが作監をしているシーンとそうでないシーンでは明らかに違った印象を受けた。ただ、変な作画崩壊はなく、りおさんの素敵なキャラデザもあって、見続ける分には問題ないクオリティであった。
とにかく惜しいと感じる映画だったなと思っている。
…これ以上にも書けることはありますが、上手く言語化するにはまだまだ時間がかかりそうなので、ここで結んでおこうと思います。
拙い長文で申し訳ありません。ご拝読ありがとうございました。