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週末読書メモ85. 『走ることについて語るときに僕の語ること』

(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)

もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。

少なくとも最後まで歩かなかった。


村上春樹さん。代表作『ノルウェイの森』をはじめ、数々の名小説を創作し続けてきた、名実ともに現代日本小説家のトップランナー。

本作は、村上春樹さんが「走る」というテーマを語る中、小説家として姿、創作への想い、そして、はじめて自分自身について綴ったものとなります。


村上春樹さんは、昨日の自分をわずかにでも乗り越え続けることという点において、走ることも、小説を書くことも同様であると言います。

走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、達成規準のバーを少しずつ高く上げ、それをクリアすることによって、自分を高めていった。少なくても高めようと志し、そのために日々努めていた。
僕はもちろんたいしたランナーではない。走り手としてはきわめて平凡なーーむしろ凡庸というべきだろうーーレベルだ。しかしそれは全く重要な問題ではない。昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。

僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎晩走ることから学んできた。
(中略)いずれにせよ、ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。なぜなら、僕は今書いている小説が、自分でも好きだからだ。この次、自分の内から出てくる小説がどんなものになるのか、それが楽しみだからだ。
(中略)与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。

上記のように、本書では「走る」ことが村上春樹さんの人生や小説家としてのあり方へ多大な影響を与えたのを、メタファーを用いながら節々に語られています(ちなみに、村上春樹さんは自身を凡庸を称しつつ、フルマラソンを約3時間半で走られるので、並々ならぬ走り手です。初心者で約6時間、中級者で4時間半程度。4時間を切れば、一般人の中では相当速い方)。


また、創作活動も、マラソンと同様に一歩一歩進み続けた先に結果へ辿り着けると言います。

自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源なんてたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。だからひとつの水源が乏しくなってきたと感じたら、思い切ってすぐに移ることができる。

とにかく目の前にある課題を手に取り、力を尽くしてそれらをひとつひとつこなしていく。一歩一歩のストライドに意識を集中する。しかしそうしながら同時に、なるべく長いレンジでものを考え、なるべく遠くの風景を見るように心がける。なんといっても僕は長距離ランナーなのだ。

「生まれつき才能に恵まれ、何もしなくても発想や文章が自然の泉から出るような小説家もいるが、自分はそうでは無い」と筆者は言います。だからこそ、身体を酷使するような努力をしながら、雨垂れ意思を穿つように、創作活動と向き合うしか無かったと。

しかし、その継続の先、創作力や効率も上がり、若い頃から才能に頼り努力が少なかった小説家よりも、人生でより多くの作品を生み出すことに繋がったと振り返っています(なので、村上春樹さんから見ても、シェイクスピアのような世界の歴史に名を刻む文豪は別格だと)。


本作でその他に印象深かった内容としては、小説家という頭脳労働の一線で活躍する村上春樹さんが、体力の重要性を強調されていたことです。

村上春樹さんは言います、小説家にとって重要なのは才能、しかし次点では集中力と持続力。そして、執筆は肉体労働であると述べ、頭脳だけでは一冊を書き上げられないと。まさに、前職の海外の農業ベンチャーの経験から得られた大きな教訓の一つが「心技体、その全てを鍛える重要性(必要性)」でした。

世に溢れるビジネス書の中で、「心(人間性)」や「技(スキル・センス)」の重要性を説く書籍は数あれど、同じ重要感・切迫感で「体(活動可能量)」を言及するものは、ほとんど見たことがありません。その中で、村上春樹さんという超一流の方が、心技体の全てが重要だと語られていることには、グッとくるものがあります(なお、他にしいて思い浮かぶのは、柳井正さんの『経営者になるノート』くらいで…)。


本書も、前回の『人生生涯小僧のこころ』に続き、五常・アンド・カンパニーの慎泰俊さんが、「走る」というテーマで紹介していた書籍となります。

僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的なーーどんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的なーー教訓を学び取っていくことである。
そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に近接することだ。

もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。

村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**
少なくとも最後まで歩かなかった

今のところ、それが僕の望んでいることだ。

塩沼亮潤さんも、村上春樹さんも、「少なくとも最後まで歩かなかった」。

この言葉の深さが、改めて心に残る一冊でした。


【本の抜粋】
Pain is inevitable. Suffering is optional.それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが。あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。

走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、達成規準のバーを少しずつ高く上げ、それをクリアすることによって、自分を高めていった。少なくても高めようと志し、そのために日々努めていた。僕はもちろんたいしたランナーではない。走り手としてはきわめて平凡なーーむしろ凡庸というべきだろうーーレベルだ。しかしそれは全く重要な問題ではない。昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。

自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源なんてたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。だからひとつの水源が乏しくなってきたと感じたら、思い切ってすぐに移ることができる。

それから二十数年が経過し、年数とほぼ同じ数のフル・マラソンを完走した今でも、42キロを走って僕が感じることは、最初のときとまるで変化していないみたいだ。
(中略)そう、ある種のプロセスは何をもってしても変更を受け付けない、僕はそう思う。そしてそのプロセスとどうしても共存しなくてはならないとしたら、僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ(あるいは歪ませ)、そのプロセスを自らの人格の一部として取り込んでいくことだけだ。
やれやれ。

小説家にとってもっとも重要な資質は、言うまでもなく才能である。
(中略)しかし、才能の問題点は、その量や質がほとんどの場合、持ち主にはうまくコントロールできないところにある。
(中略)才能の次に、小説家にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。
(中略)集中力の次に必要なものは持続力だ。
(中略)長編小説を書くという作業は、根本的には肉体労働であると僕は認識している。文章を書くこと自体はたぶん頭脳労働だ。しかし一冊のまとまった本を書きあげることは、むしろ肉体労働に近い。▲

僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎晩走ることから学んできた。
(中略)いずれにせよ、ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。なぜなら、僕は今書いている小説が、自分でも好きだからだ。この次、自分の内から出てくる小説がどんなものになるのか、それが楽しみだからだ。
(中略)与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。

とにかく目の前にある課題を手に取り、力を尽くしてそれらをひとつひとつこなしていく。一歩一歩のストライドに意識を集中する。しかしそうしながら同時に、なるべく長いレンジでものを考え、なるべく遠くの風景を見るように心がける。なんといっても僕は長距離ランナーなのだ。

僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的なーーどんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的なーー教訓を学び取っていくことである。
そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に近接することだ。
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。
村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**
少なくとも最後まで歩かなかった
今のところ、それが僕の望んでいることだ。

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