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週末読書メモ13. 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』

(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)

大ベストセラー『サピエンス全史』の著者が、膨大かつ多様な分野の知見に基づき、人類の未来を記した大作。

前作と同様に、本作も凄い。ハラリさんの著作は、読む以前と以後で世界観が変わるほどの衝撃があります。


500ページを越える本書にて、印象に残った考察は下記の2つ。

飢餓・疫病・戦争を克服した人類は、次に不死と幸福と神性の克服に乗り出す可能性が高い(更にいうと、既に乗り出している)こと。

現代の価値観と基盤となる人間至上主義(自身の人生と経験を重きにおくこと)の信念が崩れ、データ至上主義に置き換わる未来が起こり得ること(それも、1世紀、2世紀後とかではなく、20、30年後という近い将来に)。

上記の2つのことが、(役者あとがきにも記載の通り、)大きな歴史の流れを紐解いて、網羅的・論理的で説得力のある説で明確に提示されています。


しかしながら、個人的に感じた本書の最大の価値は、著者の「歴史を学ぶ意義」に対する確固たる信念です。

※抜粋(1)
「歴史を学ぶ最高の理由がここにある。すなわち、未来を予測するのではなく、過去から自らを解放し、他のさまざまな運命を想像するためだ。」

※抜粋(2)
「歴史学者が過去を研究するのは、過去を繰り返すためではなく、過去から解放されるためだ。私たちは一人残らず、特定の歴史的現実の中に生まれ、特定の規範や価値観に支配され、特定の政治制度に管理されている。そして、この現実を当たり前と考え、それが自然で必然で普遍だと思い込んでいる。(中略)歴史を学ぶ目的は、私たちを押さえつける過去の手から逃れることにある。歴史を学べば、私たちはあちらへ、こちらへと顔を向け、祖先には想像できなかった可能性や祖先が私たちに想像してほしくなかった可能性に気づき始めることができる。」

思わず膝を打つ。数限りない本を読む中でぼんやりと(でも、確信として)感じていたことを、ここまで強く、明確に言ってもらえるとは。

”過去から解放されるため”。

まさにそう。未来を変えるために、歴史はこれ以上ない力を与えてくれます(その上で、著者も言及しているように、テクノロジーや経済の実情を理解することが大事)。


自分の経験や人生(親・子世代まで広げてもせいぜい100年)の尺度だけで考えると、生きている現実・価値観を、必然で普遍だと思い込んでしまうのは、無理もない気がします。

しかし、歴史に触れ、その尺度を何百年、何千年、何万年と広げると、「万物流転」の大原則を否が応でも突きつけられます。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(オットー・ビスマルク)」

「未来は過去の延長線上にある(ピーター・ドラッカー)」

未来を変えていった先人達の言葉は、改めて、重い。

これから変わりゆく未来、そして、そんな未来をいかに描くかを知りたい人には、心からオススメの一冊です。


【本の抜粋】
前例のない水準の繁栄と健康と平和を確保した人類は、過去の記録や現在の価値観を考えると、次に不死と幸福と神性を標的とする可能性が高い。飢餓と疫病と暴力による死を減らすことができたので、今後は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう。(中略)人類を残忍な生存競争の次元より上まで引き上げることができたので、今後は人間を神にアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス(「デウス」は「神」の意)に変えることを目指すだろう。

行動に変化をもたらさない知識は役に立たない。だが、行動を変える知識はたちまち妥当性を失う。多くのデータを手に入れるほど、そして、歴史をよく理解するほど、歴史は早く道筋を変え、私たちの知識は時代遅れになる。(中略)新しく見つかった知識のせいで、経済も社会も政治も、前より速く変化する。私たちは何が起こっているかを理解しようとして、知識の蓄積を加速する。するとそれは、なおさら速く大きな変動に繋がるばかりだ。

歴史学者が過去を研究するのは、過去を繰り返すためではなく、過去から解放されるためだ。私たちは一人残らず、特定の歴史的現実の中に生まれ、特定の規範や価値観に支配され、特定の政治制度に管理されている。そして、この現実を当たり前と考え、それが自然で必然で普遍だと思い込んでいる。(中略)歴史を学ぶ目的は、私たちを押さえつける過去の手から逃れることにある。歴史を学べば、私たちはあちらへ、こちらへと顔を向け、祖先には想像できなかった可能性や祖先が私たちに想像してほしくなかった可能性に気づき始めることができる。

歴史を学ぶ最高の理由がここにある。すなわち、未来を予測するのではなく、過去から自らを解放し、他のさまざまな運命を想像するためだ。

人がたいてい変化を怖がるのは、未知のものを恐るからだ。だが、歴史には一定不変の大原則が一つある。すなわち、万物は移ろう、ということだ。

人々は絶えず互いの信念を強化しており、それが無限のループとなって果てしなく続く。互いに確認し合うごとに、意味のウェブは強固になり、他の誰もが信じていることを自分も信じる以外、ほとんど選択肢がなくなる。(中略)歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとって人生で重要に見える事柄が、子孫には全く無意味になるのを理解することだ。

データ至上主義は、人間の経験をデータのパターンと同様と見なすことによって、私たちの権威や意味の主要な源泉を切り崩し、一八世紀以来見られなかったような、途方もない規模の宗教革命の到来を告げる。(中略)一八世紀には、人間至上主義が世界観を神中心から人間中心に変えることで、神を主役から外した。二一世紀には、データ至上主義が世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、人間を主役から外すかもしれない。

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