
週末読書メモ32. 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)
これはもっとも重要な点なのだが、たゆみない不断の組織的な世俗的職業労働を、およそ最高の禁欲的手段として、また同時に、再生者とその信仰の正しさに関するもっとも確実かつ明白な証明として、宗教的に尊重することは、われわれがいままで資本主義の「精神」とよんできたあの人生観の蔓延にとってこの上もなく強力な槓桿隣らずにはいなかったのだ。そして、先に述べた消費の圧殺とこうした営利の解放とを一つに結びつけてみるならば、その外面的結果はおのずから明らかとなる。すなわち、禁欲的節約主義による資本形成がそれだ。
価値観が、世界規模での経済・社会のゲームすら動かしてしまうと。
マックス・ヴェーバーによる経済学、かつ、社会学における古典的名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
凄まじい一冊でした。正直、とても難解であり、全てを理解し切ることはできませんでした(特に中盤の宗教関連の解説は…)。
しかし、歴史の荒波を耐えた本書は、読者に大きな示唆を与えます。
本書最大のテーマは、冒頭の記載の通り、資本主義以前と以後の世界を変えていったのは、ある一つの価値観のパラダイム(カトリック的価値観からプロテスタント的的価値観への変換)が大きく後押ししたという考察です。
この考察は、深い。
組織経営において、価値観(バリュー)の重要性が謳われていますが、本書を通じ、その意味をまざまざと感じさせられます。
そうした「新しいスタイル」の企業家が醒めた自己抑制を維持し、経済上・道徳上の破滅に陥らぬためには、きわめて堅固な性格が必要であり、また明晰な観察力と実行力とともに、とりわけ決然とした顕著な「倫理的」資質をそなえていなければ、この革新に必要な顧客と労働者からの信頼を得ることはできないし、また、無数の抵抗に打ち勝つ緊張力をたもちつづけ、企業家に必要な、とくに安易な生活とは両立しがたいおそろしく強度な労働に堪えることもできないが、そのような事業に公平に観察することは誰人にも決して容易ではなかったのだ。というのもただただそうした倫理的資質が、過去の伝統主義に適合的なものとは異なった、独自なものであるためだった。
ピュウリタニズムの人生観は、その力が及びたかぎりでは、どのようなばあいにも、市民的な、経済的に合理的な生活態度へ向かおうとする傾向 ー これが単なる資本形成の促進よりもはるかに重要なことはもちろんだ ー に対して有利に作用した。そして、そうした生活態度のもっとも重要な、いや唯一の首尾一貫した担い手となった。ピュウリタニズムの人生観は近代の「経済人」の揺籃をまもったのだった。
これらの労働や人生に対する価値観。そして、その価値観をもとに、導かれる思考と行動。それらが資本形成を推進し、資本主義を発展させたと。
一方で、「資本主義以前」は、別の価値観(カトリック的価値観)が通念であり、それが市民的資本主義経済の成立において、最強の障害の一つであったという記述も、示唆に富みます。
この場合「資本主義以前」というのは、合理的経営による資本増殖と合理的な資本主義的労働組織がまだ経済行為の方向を決定する支配的な力とはなっていなかった、という意味である。ところで、こうした態度こそ、市民的資本主義経済成立のための前提条件に人々が適応するさい、到るところで遭遇することになった内面的障害のうち最強のものの一つだったのだ。
宗教改革も、産業改革も、そして、資本主義の成立も、幾多の偶然の産物とはいえ、それらが交差し、弾み車として回り始めたのち、世界の流れが加速することを見せつけられます。
価値観が、イノベーションを加速させる。この一つの法則がある反面、価値観がイノベーションを阻害することもよく分かります。
クリステンセンのイノベーション三部作で、イノベーションの障害としては、資源、プロセス、価値基準の順に大きいものだと述べられていました(皮肉なのが、それらがある時点までは傑出さの源であるにも関わらず)。
資本主義という、経済・社会の大きなシステムのイノベーションの事例からも、価値観の持つ影響力の大きさを見ることが出来るとは…
万物流転は、この世界の数少ない真理の一つです。
資源やプロセスだけでなく、価値基準すらも、幾度となく更新・変革できる仕組みが求められるのだろうなあ。
そう考えると、ウォルマートの創業者(サム・ウォルトン)が、絶えざる変化をウォルマートの文化の核にあり続けることを自らの使命としていたエピソードは、慧眼であったとしか言えません。
(※抜粋『ワイズカンパニー』)
成功すると、惰性に流されやすくなる。そうならないための唯一の方法は変化を強制することだと、ウォルトンは考えていた。
「あるやり方を取り入れ、それが最善の方法だと強く信じると、いつもその方法ではなくてはならないというこだわりが生じやすくなる。だから私は、絶えざる変化がウォルマートの文化の核であり続けるようにすることを、自分の個人的な使命にしている。会社が成長を続ける中で、私は常に変化を強いてきた。ときにそれは変化のための変化であることもあった。実際、
ウォルマートの企業文化の最大の強みは、いつでもすべてを捨てて、急に方向転換できることではないかと、私は思っている」
(Amazonという新たな小売の覇者が生まれ、多くの小売業の巨人が滅びていった現在。その中でも、ウォルマートはその輝きを残し、何なら生鮮のデジタル化領域でAmazonとも伍していられるのは、この価値観も起因していると思えてなりません)
価値観は極めて重要。それは、世界規模でのゲームを変えるほどに。
その上で、その価値観すらも、変化・進化し続けられるか。
そんな原理原則を改めて突きつけられるような一冊でした。
【本の抜粋】
近代的企業における資本所有や企業家についてみても、あるいはまた上層の熟練労働者層、とくに技術的あるいは商人的訓練のもとに教育された従業者たちについてみても、彼らがいちじるしくプロテスタント的色彩を帯びているという現象だ。
(中略)このように経済的に発展した諸地方がとくに宗教上の革命を受け入れるべき素質をもっていたのは、どういう理由によるのだろうか、と。
(中略)それはほかでもなく、宗教改革が人間生活に対する教会の支配を排除したのではなくて、むしろ従来のとは別の形態による支配に変えただけだ、ということだ。
「カトリック信徒はもの静かで、営利と財産を獲得しうる、というような生涯よりは、たとい所得はずっと僅少でも、できるかぎり安定した生活を大切にする。諺に、うまいものを食わないのなら寝て暮らせというざれ言葉がある。そうした場合、プロテスタントは進んでうまいものを食おうとするのに、カトリック信徒は寝て暮らそうとするのだ」と。
この場合「資本主義以前」というのは、合理的経営による資本増殖と合理的な資本主義的労働組織がまだ経済行為の方向を決定する支配的な力とはなっていなかった、という意味である。ところで、こうした態度こそ、市民的資本主義経済成立のための前提条件に人々が適応するさい、到るところで遭遇することになった内面的障害のうち最強のものの一つだったのだ。
そうした「新しいスタイル」の企業家が醒めた自己抑制を維持し、経済上・道徳上の破滅に陥らぬためには、きわめて堅固な性格が必要であり、また明晰な観察力と実行力とともに、とりわけ決然とした顕著な「倫理的」資質をそなえていなければ、この革新に必要な顧客と労働者からの信頼を得ることはできないし、また、無数の抵抗に打ち勝つ緊張力をたもちつづけ、企業家に必要な、とくに安易な生活とは両立しがたいおそろしく強度な労働に堪えることもできないが、そのような事業に公平に観察することは誰人にも決して容易ではなかったのだ。というのもただただそうした倫理的資質が、過去の伝統主義に適合的なものとは異なった、独自なものであるためだった。
明白に掲示された神の意思によれば、神の栄光を増すために役立つのは、怠惰や享楽ではなくて、行為だけだ。したがって時間の浪費が、なかでも第一の、原理的にもっとも重い罪となる。人生の時間は、自分の召命を「確実にする」ためには、限りなく短くかつ貴重だ。
これはもっとも重要な点なのだが、たゆみない不断の組織的な世俗的職業労働を、およそ最高の禁欲的手段として、また同時に、再生者とその信仰の正しさに関するもっとも確実かつ明白な証明として、宗教的に尊重することは、われわれがいままで資本主義の「精神」とよんできたあの人生観の蔓延にとってこの上もなく強力な槓桿隣らずにはいなかったのだ。そして、先に述べた消費の圧殺とこうした営利の解放とを一つに結びつけてみるならば、その外面的結果はおのずから明らかとなる。すなわち、禁欲的節約主義による資本形成がそれだ。
ピュウリタニズムの人生観は、その力が及びたかぎりでは、どのようなばあいにも、市民的な、経済的に合理的な生活態度へ向かおうとする傾向 ー これが単なる資本形成の促進よりもはるかに重要なことはもちろんだ ー に対して有利に作用した。そして、そうした生活態度のもっとも重要な、いや唯一の首尾一貫した担い手となった。ピュウリタニズムの人生観は近代の「経済人」の揺籃をまもったのだった。
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