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週末読書メモ112. 『我と汝・対話』

(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)

人との関係を見つけ直すこと一冊。


世界は人間のとる二つの態度によって二つとなる。
(中略)根源語の一つは、〈われ-なんじ〉での対応語である。
他の根源語は、〈われ-それ〉の対応語である。

〈われ-それ〉と〈われ-なんじ〉。どちらの態度で生きるか。

マルティン・ブーバーは言います、上記2つの態度によって世界は変わると。


「それ」と「なんじ」という言い方が、その意味を掴むのに役立ちます。

〈われ-それ〉の態度では人と物のような関係なのに対し、〈われ-なんじ〉という態度では人と人の関係を作っていけることを示しています(それによって、人としての愛や心の豊かさにも繋がると)。


同じ感想を持った人がいたのですが、この内容は、ベストセラー『自分の小さな「箱」から脱出する方法』の読後感に近いものがあります。

箱の中と外、〈われ-それ〉と〈われ-なんじ〉。

平易な言葉ですが、その奥にある意味はとても深く。


人間は〈それ〉なくしては生きることはできない。しかし、〈それ〉のみで生きるものは、真の人間ではない。

〈なんじ〉との関係に立つものは、〈なんじ〉と現実をわかち合う。たんに自己のうちだけでも、またたんに自己の外だけでもない存在をわかち合うのである。すべて現実とは、わたしが他の存在とともにわかち合う働きであり、わたしだけで自分のものとすることはできない。

内容は、神や愛にまで広がる重い哲学書であり、決して読みやすくはありません(内容の半分も掴めなかった本はいつぶりだろうか…)。

ですが、そのテーマである〈われ-なんじ〉という言葉が心に残るという点で、手に取る価値のある一冊です。


【本の抜粋】
世界は人間のとる二つの態度によって二つとなる。
(中略)根源語の一つは、〈われ-なんじ〉での対応語である。
他の根源語は、〈われ-それ〉の対応語である。

経験される対象の世界は、根源語〈われ-それ〉に属している。根源語〈われ-なんじ〉は、関係の世界を成り立たせている。

世界は人間の二つの態度によって、二つとなる。
人間は自己の周囲の存在を認識する。たんにものとして認識するのみならず、ものの本質を認識する。人間は自己の周囲の出来事を認識する。たんに出来事として認識するのみならず、出来事をとおして行動を認識する。

〈それ〉の世界は時間と空間に関連をもっている。
〈なんじ〉の世界は時間と空間になんら関連をもたない。
個々の〈なんじ〉は、〈われ-なんじ〉の関係が終わりに達すると、〈それ〉とならなければならない。
個々の〈それ〉は、関係のなかにはいってゆくことにより、〈なんじ〉となることができる。

人間は〈それ〉なくしては生きることはできない。しかし、〈それ〉のみで生きるものは、真の人間ではない。

〈なんじ〉との関係に立つものは、〈なんじ〉と現実をわかち合う。たんに自己のうちだけでも、またたんに自己の外だけでもない存在をわかち合うのである。すべて現実とは、わたしが他の存在とともにわかち合う働きであり、わたしだけで自分のものとすることはできない。

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