捨てる、その先の空白
「ぜんぶ、すてれば」
著者:中野善壽
伊勢丹、鈴屋で新規事業の立ち上げと海外進出を成功させる。その後、台湾へ渡り、大手財閥企業で経営者として活躍。2011年、寺田倉庫の代表取締役社長兼CEOに就任。大規模な改革を実施し、老舗の大企業を機動力溢れる組織へと変貌させた。
叙分
初めて天王洲アイルに行ったのは数年前。
当時より話題となっていた寺田倉庫が改革を進める主戦場、天王洲アイルのカフェにて知人が出展するということで、是非見に行きたいとお願いした。
なんだか幕張に似ているな。
というのがはじめの印象でした。
電柱が全くなく、すごく開けていて視界良好、水のせせらぎも聞こえてくる、全体に統一感もあり、なにか洗練された印象を持ちました。
アートカフェに到着すると、
カフェを楽しむ人、作品を鑑賞する人、下校途中に立ち寄る小学生、散歩途中に寄ったというご夫婦だったり。
そこには様々な人と理由が交錯し存在していました。アートと空間そのものを楽しめる感覚。
そこにたゆたう正解のない時間。
あー、こんな空間を作れるものなんだなぁ。と、ここで発明集団の一端を見れたことを嬉しく感じたのを憶えています。
寺田倉庫は一般的な倉庫業界の常識を捨て去り、モノの価値を預かる新たなビジネス形態へと変貌を遂げていた。
地的優位性や面積、価格競争に縛られることのない、新たな価値の創出、その一つが天王洲アイルという街をあげての倉庫×アートとの融合である。
預かった価値にどのような付加価値を添加できるか。
ここに注力できた中野善壽とはどのような人物なのか。その一端にも触れてみたいと、この本を開きました。
1 できることが、なくてもいい。こだわりがなければ、なんでもできる。
今まで野球漬けでなにもやりたいことがなかった学生時代に、毎日立ち寄った花屋。そこで店員のおばさんと花を咲かせ、一凛を持ち帰る日々。
行きたいこともやりたいこともない学生は、おばさんから従妹が努めているという百貨店を紹介される。それが伊勢丹入社のきっかけであった。
中野氏は入社後、新規事業部に配属され様々な仕事に従事する。やりたいこともこだわりもない中野氏は目の前の仕事に一生懸命に取り組み、とかく楽しんだ。
会社とはただの箱に過ぎず、ここでどう楽しむか。働く主は常に自分自身だと気づきを得たのだ。
「なにもやりたいことがない」というこだわりのなさが、この幸運を呼び寄せたと語る。
2 世の中に安定はない、常に流れるのが自然の摂理
最近の若者のトレンドとして「安定志向」であることが挙げられるが、中野氏はこれに異を唱えている。
世の中は一日単位では気づきにくい変化でも、大きな流れの中では激動している。
そこで大事となるのは安定を求める心ではなく、変化に対応する力、冷たい風を感じて一瞬立ち止まる力。そして足の向きを変え颯爽と歩きだす力であると。
変化に強い自分を鍛えていくことを勧めている。
また安定を求めるが故に、思い切ったことができず踏みとどまってしまう人がいる。
人がひとり生まれてから死ぬまでの時間は、宇宙に流れる時間のほんの一瞬。
人生とはとるにたらないもの、宇宙の中の一瞬のまばたきなのだ。
そう思うとなんでも気軽にできる。もっと肩の力を抜いて思い切ればいい。
確かに。
空も海も人間も、この世の物質はすべて原子から成り立っていますが、地球上の原子数は地球が誕生してから大きくは変化していません。
私たちは地球上の原子が組み合わさってできた過程の小さな結果であり、死んだあとは新たな原子の組み合わせによって“なにか”に変わる。
これが46億年繰り返されているだけなのです。
その中のほんの小さな結果である存在に過ぎないんだと思ったら、中野氏が言うように力を張りすぎず楽しんだもん勝ち、という精神も頷けますよね。
3 実物を捨てる。極上の遊びは頭の中にある
中野氏は昔から物に執着することがなかったようだ。その原点は幼少期。
どんなおもちゃよりも熱中したのがダイアグラム。架空の駅の名前を考え。線路をつなぎどんどん駅を作っていく。自分の頭の中で心置きなく想像力を膨らませ自分だけの世界を作る。
「極上の遊びは自分の頭の中にある」と、した。
最近の子は、ゲームもスマホも様々な電子機器に囲まれていて刺激が多く羨ましいなと思う反面、心配にもなります。
こんなに色々溢れていて自分の想像の余地があるのか? と。
私も幼少期~中学までは「ぷしゅぷしゅ」と呼ばれた奇怪な遊び(家族のみ知る秘め事)にはまってました。
目をつむり、何かを演じて部屋中をくるくると回り舞う。遠心力を感じることによって周りの一切を遮断し役と場面に没入するのです。
この時、想像の中での戦闘音や効果音、セリフまでもを「ぷしゅっ」という破裂音で表現するのです。だから「ぷしゅぷしゅ」。
これがまた最悪で、「ぷしゅ」で吐き出された唾が遠心力のパワーを借りて多方面に飛び散るわけです。これが何時間も続く、まさに人間スプリンクラー。
ええ、まさに地獄です。よく耐えてくれた、肉親よ。
中高の寮生活も監獄のような場所でしたので、自分たちで工夫するしかありませんでした。なんせテレビもありませんから。
それこそ、すごろくを自作したり、トランプまで作ったりしました。ラジオにしがみつくのも中々できない経験だったと思います。
こういったことって大事なスキル形成の一つなんじゃないかな、と思います。
人生には各タームで余白が必要で、どうやって楽しむか、どう頭のイメージを表現するかの時間を設けてあげる。本でいうところの「intentionally left blank」ですね。
これが、中野氏の仰る極上の遊びをする第1歩ではないでしょうか。
4 迷いなく、やると決める。ただし、朝礼朝改
やると決めたらすぐにやる。ただし朝礼朝改。
共に働く社員も、朝礼の指示は昼には変わるかもしれない、という心構えで取り組むのだそう。
状況が変われば行動も変えなければならない。
2時間前の自分の行動に縛られ間違った判断をするなんてあってはならない。絶対に正しい、ということは世に存在しない。自分の判断でさえ決めた瞬間から疑い始める。
また、中野氏は社長の重要な仕事の1つとして“即決”するということを挙げている。社長の決断が遅いと現場がその間止まってしまう。作業できる時間が奪われると仕事の質も低下する。
とにかくすぐ決める。これが社長業でもっとも重要だとしている。
即決、その上で常に決断に疑問を抱き続け、辞めることも即決。
一度口にした言葉を撤回することは勇気のいることだが、そんなプライドやらこだわりを捨て、常に変化する最善手を打つ。
どんなスピードで会社が動いているのか、非常に興味が沸きますね。
5 世の中捨てたもんじゃない。楽観主義でやりなおせばいい
中野氏は自身の人生についてピンチの連続であったと語る。
家庭の事情で住居を転々としながら、祖父母に引き取られたり、はたまた海外での暮らしが始まったりと。
ただピンチだと自身では認識したことはなかった。その行く先々で誰かが助けてくれたから。人や場所は変われど、愛情は誰かしらに注いでもらっていた。これは一生残る愛情だ。そのおかげで人懐っこくオープンなマインドに育ったという。
人生に決まった場所はいらない。ふるさとに縛られることも必要ではない。大事なのは自分がどういう人と出会い、なにを学び、なにをするか。
うん、うん。これめちゃくちゃよく分かる。
私も転々と流浪の旅を続ける人生だが、一人で新しい場所を歩くのはすごく難しい。
だけど幸いなことに、今までその時々で助けてもらってきました。
その度にびっくりします。
優しい人っているんだなぁ、と。
なんか優しさでできてます、全部。 みたいな。いや、もう、バファリン超えとるがな!って人。
私の運がいいのか、人間とはそうゆうものなのかは分からないけど、意外と助けてもらえるって思うと、気楽に自分や環境と向き合えるよね。
理想をいうならいつかは誰かに返せる人間になりたいと思う。ペイフォワード的思考だけど、そんなことができれば素敵だなと思うわけです。
6 人に頼むなら、信じて任せる
中野氏は自分でやることにこだわりすぎず、なにごとも他力を借りれば何とかなると仰っている。
会社には部下は存在せず、皆同僚で、自分にできない"何か"を得意げにこなす人がたくさんいる。
だから仕事によっては、自分よりその人に頼った方が仕事が早いのだからそれに越したことはない。
ただし人によって仕事のスピードは異なる。
予想よりも遅い仕上がりであったとしても怒ってはならない。自分が任せたのだから黙って見守る精神が必要だ。その代わり予想よりも早く仕上がったものに関しては感謝し、お礼を述べる。
できたら褒める、できなかったら我慢する。
こういう姿勢が保てていないと人になにかを任せることはできない。ちゃんと成果を出すには任せ上手になることが重要である。
7 ホウレンソウも企画書もいらない。求めるのは結果のみ
中野氏にとって途中経過ほどいらないものはないようだ。すぐ済む話はすぐ済ませる。仕事を始めるための仕事は無駄なので省く。
とにかく結果を追い求める。
一見やりやすいように感じるが、結果がすべてというのはそれはそれでしんどい。
とにかく信頼関係が成り立っていないとできないし、それぞれが責任を負わなければならない。
仕事はお互いに期待する関係で成り立っていると語る。
部下を育てる。
なんてとんでもなく、こちら側が必死に関わるだけ。むしろこちらが部下に育ててもらいたいとまで思っていたそうだ。
そんな社長の信頼が、いい空気を作り出す秘訣なのかもしれない。
では会社がいい方向に向かっているかをどう把握しているのか。
中野氏は、必ずグループ全部の預金通帳を確認する。ここでの数字の増減ですべてが分かるという。お金の把握は流れがつかめればそれでいい。
それが分かっていれば大きな間違いは起きないし、過去からの経験で違和感に気づけるようにもなる。
8 聞けば誰かが教えてくれる。既存の組み合わせでいい
今まであった幾つもの困難も、誰かの協力を経て乗り越えることができた。
分かれなければ聞けばいい。そうして得た協力は数珠繋ぎのように伝染していく。そうして集まった知が交わったときに新たなものが生まれる。
すでに誰かが使ったことのある技術も、それを幾つか組み合わせたら新しい技術になることがある。すでにあるものを教わり勉強することで、どういった違いが生み出せるだろうかと考えた先にひらめきが待っている。
これに似た経験が私はあります。
悩んだ末に辿り着いた結果でしたが、幸運にもこのような考えに至ることができました。
話すと長くなるのでまた機会があれば別で書けたらいいなと思います。
9 終章
日本人が中々捨てきれないものが地縁。
例えば「跡取り」として土地や家を受け継ぐプレッシャーに悩むものもいるが、そこにとらわれる必要はない。
そもそも土着という考え方は江戸時代の徳川幕府の土地政策に始まり、その時々の偽政者施策でしかなかった。
土地へのこだわりは人の管理と生産管理の一環でしかない。
そんなもの、でしかないのだ。
こだわりは得るものも多いかもしれないが、その分失っているものもある。捨てちゃいけないものなどないのだから、それくらいの気持ちで考えてみては。
まずは当たり前を捨てることからはじめよう。
跋文
中野氏の著作物はほぼない。自身のことをあまりお書きになるのはお好きではないようだ。
この本の出版についても企画段階で断るつもりであったようだが、この本のタイトルを見て「センスがいい」と即快諾したそうです。
中野氏らしいエピソードですね。
そもそも、寺田倉庫前オーナーとの出会いは、アポロ会という自身が企画した勉強会。
赤坂の「よしはし」というすき焼き屋で、定期的に各業界の経営者と集まっていた。
会費5千円で各自情報交換をし、余った会費で旅行して見聞を広める。
そんな中で寺田倉庫の社長が面白い人物だと周りから聞いた。
どんな方なのか。
こんな漠然とした興味だけで天王洲へ赴いたそうです。行動力が純粋さ極振り。
入り口で倉庫が見たい、と直談判した相手が前オーナーの寺田保信氏だったそうです。
そこで意気投合し、直接アポロ会に誘い親交を深め、遂には会社経営を任されるわけです。
まさに、天文学的確率。おまもりなしで伝説ポケモン色違いレベル!
出来ることに目を向けて、とにかくアクションする。それも大事なことだと、改めて学びました。
すてる。
ふるさとも、社長机も、資産も物も、凝り固まったこだわりも、関係性も。
裸一貫で自由に。
それが中野善壽。という人でした。
こだわりや夢についても語られていましたが、私も夢のない自分に悩んでいた一人です。
なんだか夢や目標がないのが人としてダメな気がして、そこに中々答えを持てず悶々としていました。
だけど最近はそれでもいいじゃん、と思っています。
無理やり見つけた何かにすがって変な焦燥感や劣等感を背負って生きるくらいなら、それすらも個性だと思えた方が幸せなんじゃないか、と。
真っ白なキャンバスにわくわくする自分でいたいな、と。
そのおかげで色々なことに興味を持てるし、色んなことにチャレンジできるかもしれない。
変に自分の窓や行く先を作って、道を狭める必要はないと思うのです。生きていればその都度小さな目標はできます。
それに全つっぱでええやん。
だから最近は平然と夢はないと言い放ちます。
そうすると周りからつまらない人間と思われるかもしれません。
いやいや、色々つまりますよ、って言えるくらいになればいいと思います。
だから無理な設定はしない。
その代わり自分が自分である為に、を追求していく。
これに時間を割く人生も面白そうじゃないですか?
人生に用意された膨大な余白、を楽しみながらどんな彩りを加えるか悩む。
その時やりたいことをやる。
これほど贅沢な自由もないのではないでしょうか。