己が螺旋の導き手
こんにちは、choco...です。
お盆休みも終わり、夏の暑さにもセミのアンサンブルにも負けそうです。
グレンラガンを観に行きたいけど、
内容が熱く劇場の温度が50℃を超えたという口コミが恐ろしくて近寄れません。
前回挙げた2記事も皆様から“いいね”頂けたようで、大変嬉しいです。
さて、話は全然変わりますが、
皆様にとって、人生においての敵とはなんでしょう?
自身をカテゴライズしてくる社会ですか?
ステレオタイプな上司ですか?
右の頬を叩く悪人ですか?左の頬を差し出す善人でしょうか?
今目の前に見えている敵は、生死の淵に立つその時まで、隣でほくそ笑んでいてくれるでしょうか?
人生という大きな枠組みで捉えたとき、
私と最期まで対峙しているのは私です。
言うなれば、人生の敵とは己の傲慢や偏見や、怠惰なのではないでしょうか。
なぜか多くの敵はいつの間にか飽きてどこかへ行ってしまう、ないしは克服できるのに、私の中身はずっと不完全な私です。
では、味方とはなんでしょう。
なにもない休日、誰かの笑顔、寒い日の肉まん、夢中にさせてくれる創作物。
人によって様々ですが、なんとも形容しがたいものを私達は求めています。
それは何気ない日常の中の、心が満たされた刹那。あるいは充足感。
人間には良くも悪くも忘却機能が備わっているのでつい忘れがちですが、割とその辺に転がっているものです。
そして、これを見つけてくれるのは私しかいません。
「一利を興すは一害を除くに如かず」
一つの利益を追い求めるよりも、それまでの害を一つ取り除いたほうが利益に繋がる、という意味です。
私はこの言葉が好きで、よく頭に思い浮かべます。
お陰様で悪いところを見つけるのが非常に上手くなってしまいました笑
不幸を見つけるのってすごく簡単なんですよね。
この言葉は今でも好きだし非常に納得して使っていますが、何事も囚われすぎると良くない、ということですね。
目先の嫌なものばかりに囚われず、
日常を何で満たしたいかに目を凝らし、それに触れるために不完全な自分と闘う。
私という導き手に上手く希望を伝えながら、手を引かれていきたいものです。