1. 「時代は東京じゃなくなる」 という思い込みで香川で起業。
さよなら東京。
遡ること2017年、12月。肌寒い夜でした。新幹線に乗り込んで東京の煌びやかな街に別れを告げ、インスタのストーリーで東京の友人たちに別れを告げました。自分の中で東京でやりきった気持ちと、まだもうちょっとやれたかもしれない気持ちが入り混じっている中、東京を離れていきました。
起業前は、「まだ早いんじゃないか」、「それで本当に食っていけるの?」、「東京でもうちょっと頑張ったら?」という言葉もたくさん投げかけられました。
ただ、その言葉は「東京にいることが正義」だと感じてる資本主義に毒された人たちの言葉にしか聞こえませんでした。びびってたまるかよ。そう心の中で思っている一方で、本当にこれでうまくいくのかな、正直半信半疑な部分もあったと思います。
ただ、自分はもうこれしかない。地方で、香川で勝負をしたい。あの起業前夜の自分の熱量は、これから攘夷を仕掛ける維新志士と同じような気持ちだったと思います。
最初の法人登記と資金調達、事業計画。
香川に帰ってきて最初にやったことは、法人登記と資金調達、事業計画づくりでした。ただ、正直起業を28歳でしようとは考えていなかったので、手元の貯金は40万円しかない状況で香川に帰ってきました。
最初は資本金5万円で会社を作りました。法人登記費用と合わせると30万円くらい使っちゃったので、手元資金は10万円。
次に事業計画。もともと大学生の時から香川県Loversという1万人以上のSNSコミュニティを立ち上げたり、東京ではネットメディアでの経験もあったので、香川発で瀬戸内にAbemaTVのような次の時代のメディア事業を作りたいという構想を東京時代から持っていました。
ただ、香川に帰ってくる前に投資家の方にも相談してたのですが、いざ実際に話を進めていくと当たり前なんですが、構想をもとにした事業計画はあるもののプロダクトはないのでバリエーションも付けれない状況。(会社&事業に値段をつけれない状況)
自分も荒さがあったと思うのですが、事業計画云々ではなく、もう後には引けない、そんな覚悟の中で帰ってきたので自分の熱量だけで交渉していました。今思うと本当に無茶苦茶だったんですが、自分には成功するイメージしか見えていませんでした。
「わかりました。応援しますよ。一緒に頑張りましょう」
絶対に成功させて恩返しをしようと心に誓いました。
知り合いに一軒家を借りて会社をスタート。
東京から香川県に帰ってきたとき、まず事務所や住居を見つけるまでの間は大学時代からの知り合いの方の一軒家(古民家)にお世話になりました。その方はひきこもりや不登校児の支援をされている方で、大学時代にお会いしていたのですが、受け入れてくださって本当に感謝しかありませんでした。約3ヶ月の間、会社の事務所兼住居として利用させて頂きました。
ただ、仕事環境は一変。東京の中でもトップクラスに環境の良いオフィスから、生活感のある一軒家での仕事環境に。
起業当初は1月の寒い季節だったので、朝起きてストーブをつけて、コタツに入り冷たくなった指先を暖める。そして実家から送られてくる野菜たちと、地元スーパーのマルナカで割引のシールの付いた激安豆腐に醤油をかけて食べる日々。東京時代から体重は5キロ減り、正直かなりやせ細ってしまいました。
唯一の楽しみは1ヶ月に1度、マルナカで購入した半額の焼肉セットでした。売上が立たない最初の半年くらいはそんな生活をしていました。ただ、成功したらこの苦労も笑い話になると思い、最初はこの生活を楽しんでいました。そして「ここから世の中を変えてやる」という尖った気持ちだけで生きてました。ただ、たくさん上手くいかないこともあったので、たまになんでこんな生活してるんだろうって泣いて挫けそうになるときもありました。
毎朝6時起床をして夜24時頃まで会社や事業の構想を練る日々でした。働く場所と資金集め、それと同時並行に、仲間集めを始めました。
次の「#瀬戸内サニーのヒストリエ」では、一番最初の立ち上げ期の仲間集めで学んだことを当時を振り返りながら書いていこうと思います。
創業前のストーリーはこちら👇
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