3. 瀬戸内版AbemaTVは失敗。
創業5年のストーリーをまとめた瀬戸内サニー株式会社のヒストリエ。お次は、メディア事業のサービス開発です。ただ、開発といっても実際にアプリを作るとかは資金や人の問題で選択肢にはなかったので、まずは既存のYouTubeやTwitterなどで動画コンテンツを展開していくことにしました。しかし、瀬戸内版AbemaTVは失敗します。
超特急で事業体制を構築し、3ヶ月でローンチ
起業してから約3ヶ月後の2018年4月10日をメディアのローンチ日にしました。ちょうど本州と四国を繋ぐ瀬戸大橋開橋30周年の日で、「瀬戸大橋のように地域に必要なインフラになろう」という思いを込めました。
またちょうどその日、橋がかかっている坂出市で開橋30周年を記念した花火大会がありました。記念イベントとして、その花火大会のライブ配信をFacebookとTwitterで実施することにしました。
ローンチ日が決まったので、事業づくりを急ピッチで進めました。SNS募集で集まってくれた仲間たちと、夜20時頃からFacebookグループのライブ機能で企画会議をしたり、友達や後輩にも動画出演やカメラマンを手伝ってもらいました。
東京から大手メディアのディレクターの方も香川に来て泊まってくれて、夜な夜な議論を交わしました。ほかのテレビ局の方も、テレビカメラマンの社内マニュアルをこっそり共有してくれたりもしました。
あと、どうしても手を動かせる仲間が欲しいと思い、母校の香川大学の学食やカフェに潜入して、大学生伝いで紹介してもらったり、なんなら食堂で「うちでインターンやらない?」ってナンパをしていました。
実際にそこにいた学生3人に手伝ってもらえることになりました。また、ちょうど映像関係の仲間もいたので、1日お時間を頂いて動画制作や動画撮影のレクチャーを開いて頂き、編集や撮影の技術を学びました。
サービス名は「サニーTV」。最初のPMFを目指して
「最初にそこにマーケットがあった訳じゃないのに、なぜ飛び込もうと思ったんですか?」と香川県出身のVC(ベンチャーキャピタル)の方に質問されたことがあります。
2018年、香川を中心とした地方に、自分の描いていたメディア事業のマーケットがあるかは正直分からない状態でした。だけど、このまま魅力ある文化や歴史がある地方が衰退することに対して、義憤みたいなものがありました。
「自分がやらないで誰がやるんだ」というファーストペンギンの精神で、事業のPMFを目指すことにしました。(PMF:プロダクトマーケットフィット。市場を満足させることができる最低限の商品を持ち、正しい市場をつくる or 正しい市場にいる状態のこと)
なのでマーケットが普通は見えているべきなんですが、一番最初はマーケット思考はほぼなくて、でもなんだかよく分からないのですが成功するイメージだけは自分にはありました。
いま思うとめちゃくちゃですが、地方にはそもそもマーケットがないので、マーケットを耕してつくっていく発想じゃないと新しいことは浸透しにくい。まさにスタートアップだったと思います。
4月10日ローンチ。速攻サービス名を変更
無事に4月10日の瀬戸大橋開局日に一番最初の動画公開をYouTubeでして、 SNSでのライブ配信も実現しました。本当に多くの方にサポートを頂きました。(当時のローンチ時の記事はこちら)
ただ、事業をスタートして分かったことは、地域に求められているのは「テレビ」や「番組」というメディア・コンテンツフォーマットではなかったということです。もっとスマホで見れる新しいコンテンツフォーマットを開発していった方がいい。あと、地方のテレビ局がビジネスとして成立するのは日本のメディア業界の構造にあるのでマネタイズの難しさも感じました。
そこで、「テレビ」というメディアフォーマットにこだわらない「インターネットメディア」という立ち位置に一旦して、違う方向性を探そうと思いました。そこで、まずはサービス名を「サニーTV」のTVを取った方がいいと思いました。
加えて、社名とサービス名が異なると浸透に時間がかかると思い、「統一したいと思ってるんですが、背中を押してもらいたいです」と社外取締役に相談し、どちらも「瀬戸内サニー」と統一しました。
事業が伸び悩む中での、衝撃的な出来事
サービス名を「瀬戸内サニー」に変更して、心機一転頑張ろうとしますがサービスの伸び悩みにあいます。
最初は自分の母校が香川大学だったので、大学生を中心に広げてもらえるようにコンテンツづくりや配信の工夫をしました。あのFacebookも大学生の中でネットワーク効果が生まれて広がっていったという話は有名で、それを参考にしました。
しかし、結果は想像以上に広がりませんでした。理由は分かりやすくて、アメリカの大学は寮生でネットワークが濃いので、ネットワーク効果が働きやすい。一方、それと比較して、日本の地方大学生のネットワークはやや希薄で非常に規模も限定的だったからです。
そして当初よりも事業がうまく伸びていかない中で、やや方向性を見失いそうになっていました。失敗するかも…。ただ、その中で、ある衝撃的な出来事が中四国を襲います。
西日本豪雨です。続きます。
創業前のストーリーはこちら👇
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