”仕事は目で盗め”は効率が悪すぎる
職人気質な人がよく言う、仕事は目で盗めという言葉に違和感しか感じないたつやです。
今回は、もし本当に仕事は目で盗むものだったとしたらどうなるのか、その弊害についてお話しようと思います。
「仕事は目で盗め」一度は言われたことある人、多いんじゃないでしょうか?
それとも、今はあんまり言われないんですかね(笑)
それくらいの向上心を持てっていう意味かもしれませんが、仕事を目で盗めるわけないんです。
もちろん、ある程度表面的なことは、目で見て分かるかもしれません。
器用な人や、要領が良い人は、それである程度のことは出来てしまうかもしれません。
僕は、軽く見ただけでなんとなく出来てしまうことの方が要注意だと思ってます。
だって、前提知識とか、どうしてそうなるのかとか、根本的なことを知らずに見よう見真似で出来てしまうと、それ以上を知ろうとしない場合がほとんどだからです。
出来るからいいやってなっちゃうんですよね。
そもそもの話、仕事を目で盗むって言うこと自体が非効率でかつ危険なんです。
前提を伝えた上で、見せて分かってもらうのであれば問題ないです。
でも、その段階をすっ飛ばして「目で盗め!」ってなるから、おかしなことになるんです。
仕事のクオリティだってそうです。
なんとなくでやる仕事と、ちゃんと原理原則を理解した上で教えてもらいながら習得するのとでは、最終的なクオリティが段違いです。
仕事の習熟スピードも、当然段違いです。
逆に考えてみてください。
今バリバリに仕事が出来ている職人気質な人は、今まで誰からも教えてもらわずに目で盗んでここまで進んできたのでしょうか。
きっと違いますよね。
目で見て自分の頭で考えて、今のスキルを身に付けた人はいるかもしれませんが、そこまでの道筋を誰かがちゃんと陰ながら作ってくれているはずなんです。
それに気づかず、自分自身の力だけで身に付けたように錯覚して、人に教えるということをやろうとしない人、めちゃくちゃ多いです。
会社視点で見ても、ちゃんと教えて早々にスキルを身に付けてもらった方が良いし、仕事のクオリティは高い方がいいのは当たり前です。
仕事を教えるってことは、その人が今まで経験してきた道の近道を教えるようなものだと僕は思ってます。
つまり、仕事を目で盗めって言って突き放すことは、近道を知っているにもかかわらず無駄な道を進んでいくのを黙ってみているのと同じです。
効率悪いですよね。
なにより、自分のスキルに固執して過去の自分に縋りついている人は、今後の成長も難しいと僕は思ってます。
知ってることは教える。
知らないことは教わる。
誰も知らないことは考える。
こうやって、自分や周りの人のレベルが上がっていくので、教えることを放棄すると自分のレベルも上がりづらいわけです。
世の中助け合うことで、結果自分に返ってくるように出来てます。
因果応報とはまさにこのこと。
ということで、本日のまとめです。
「仕事は目で盗め」は非常に効率が悪いです。
個人もそうですが、会社としての成長も遅くなってしまいます。
人に教える時こそ、自分自身のレベルも上がるし、相手の分からないことを知ることが自分の新しい気付きにもなります。
自分の知識や技術を大事に大事に、誰にも教えず抱え込むことは、足元の水を腐らせるのと同じです。
人を通じて新しい知識や見識に触れながら、自分自身も成長させていくことが自分も周りも幸せになる近道だと思うので、ちゃんと出し惜しみせず教えてあげられる人になりたいものですね。
それが自分のためにもなる、つまり因果応報です。
助け合いを通じて善い行いをして、自分に幸せを運んでいきましょう!
今回は、「仕事は目で盗め」という昔ながらの風習に対して、その非効率さと自分のためにならないということをお話させていただきました。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
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