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無理をしてしまいがちな人は、自己犠牲が当たり前になっている

頑張りすぎる人は世の中に多すぎると思っているたつやです。

今回は、ついつい無理をしてしまう人についてお話しようと思います。

僕もそうなんですが、なにごともついつい頑張りすぎちゃったり、無理してしまいがちな人っていますよね。

最初はそんなに頑張るつもりはなかったのに、やっていくうちについつい頑張りすぎちゃう。

ただ頑張り屋さんなだけなら別にいいんですが、けっこう危険信号だと思うんですよね。

やりたいことを気が済むまで頑張るのとは違うんです。

使命感とか、責任感とか、いつのまにやら自分の願望とは違うもので突き動かされてしまって、無理をしてしまう状態って考えるとかなり怖いですよね。

そもそもの話、頑張りすぎるって自分を犠牲にしていると思うんです。

自分の気持ち、願望、そういったものをひとまず棚上げして、目の前のことを頑張る。
それって立派な自己犠牲ですよね。

つまり、普段から無理をしてしまいがちな人って、普段から自己犠牲が当たり前になってしまっているとも言えちゃうわけです。

そう考えると、怖いですよね。
自己犠牲が当たり前って、どんだけ献身的な人なのか。

優しいとか真面目とか、そういう属性を持つ人たちは、普段から自分を犠牲にしてしまいがちです。

がんばる気持ち、自己犠牲になっても成し遂げようとするその気持ちはすごく尊いものですが、ちゃんと自分を大切にすべきなんですよ。

もちろん、僕も自己犠牲が当たり前になっていた時期もありますし、今でもけっこう普通に自己犠牲で頑張りすぎることも多いです。

ただ、自分でそういうものだと理解してやっているという点は全然違う部分かなと思ってます。

なんかしんどいな、心がモヤモヤするな、なんか辛い。
そんな風に唐突に感じるのであれば、それはきっと心が自己犠牲で頑張ることを望んでいない証拠です。

自分の気持ちをちゃんと理解してあげて、自己犠牲は当たり前にやるもんじゃないんだよって自分に教えてあげてみてください。

頑張っている自分を認めてあげることで、息苦しさがかなりマシになることもあるので、ぜひ当たり前だと思わないでくださいね。

ということで、本日のまとめです。

普段から無理し過ぎている人は、自己犠牲が当たり前になっている可能性があります。

その場合、頑張らないといけない、自分のことは後回し、とにかくやらないとっていう使命感や責任感が強くなりすぎて、自分を犠牲にしてしまいがちです。

そこまで頑張らないといけないことなんて、実際は多くありません。

自分にとって何が大切なのかを考えたり、自分が今自己犠牲しながら頑張ってるんだっていう意識を持つことで、頑張った自分を褒められるようになります。

勝手に『当たり前』だと意識をもって追い込まれる必要なんてないので、しっかり自分を大切にしながら、頑張ったことはちゃんと自分で認めてあげてくださいね。

今回は、僕も陥っていた自己犠牲が当たり前だと感じて普段から無理し過ぎることについてお話させていただきました。

ご拝読いただき、ありがとうございました。

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