『類友』から学ぶ環境の重要性
なんでもかんでも略して話すことに戸惑いを感じつつも、自分も適応するために略語を使うことに躊躇わなかったたつやです。
今回は、高校の頃の友達から見て取れる、”類は友を呼ぶ”ことを実感した話をしようと思います。
みなさん、この”類とも”、けっこう経験あるんじゃないでしょうか?
僕は、このことわざ、本当にその通りだなって思ってます。
やっぱり、似た人が集まるというか、感性が近い人だったり、話が合う人の近くに行こうとするじゃないですか。
落ち着くし、ストレスが少なくて済むし。
逆に、そういうのが合わない人って、一緒にいても居心地悪かったりするんですよね。
僕は、自分自身が根暗でネガティブでオタク気質で、かなり地味な人間です。
だからなのか、高校でもキラキラしたイケメンさんとかが友達になることはなく、同じような根暗系男子ばかり集まってきました(笑)
僕自身、アニメとかPCとかラノベとかに詳しかったわけではなかったんですが、そういうのが好きな人が集まってましたね。
直接的に好きなものが同じじゃなくても、気質というか、人間性というか、そういう部分が似ている人間って集まるものなんですよね。
まさに、”類は友を呼ぶ”ってやつです。
別に、キラキラした人種が嫌いってわけじゃなく、単にあんまり仲良くなるきっかけがなかったって感じです。
そこが一番の肝だと思ってます。
根っこが合わない人って、意識しないと関わることすらほとんどないんですよ。
自分から距離を取ってしまっているのか、相手が距離を取っているのか、その両方か。
それくらい、無意識下でははっきりと行動に反映されちゃってるんです。
類とも、おそるべしです。
あ、それが悪いとか言ってるわけじゃないですよ。
ちゃんと意識して色んな人と関われてる人もいるし、合わない人とは全く関わらないようにしている人もいます。
どっちも正しいと思います。
僕は、高校の時は意識して関わることをしていなかったので、こんな交友関係になっていたよっていう話です。
ということで、本日のまとめです。
”類は友を呼ぶ”は、意識していないと本当に似た人が集まります。
それは、居心地が良かったり、相性が良かったり、様々です。
でも、良いことばかりでもないです。
変化が欲しくても周りとの関係性で身動きが取れなくなることもあります。
変わりたいなら環境を変えるべきっていうのは、この関係性のリセットにも繋がることだと僕個人としては思っています。
なので、自分が求めるものに応じて、意識を変えていくようにするのが一番良さそうですね!
高校時代の僕の交友関係の話でしたが、そこから色んな事が見えてきますね。
ご拝読いただき、ありがとうございました!
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