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結果によって左右される幸せは一時的なもの。幸せの本質はプロセスにある

幸せのかたちについて考えることが多いたつやです。

今回は、幸せは結果に依存しないのではないかという話をしようと思います。

幸せってかなりあいまいなものですし、人によって解釈も違えば判断基準もバラバラですよね。

それで、これは僕の感覚なんですが、結果だけを手に入れた時ってそんなに幸せじゃない気がしてるんです。
もちろん、それも十分幸せなことです。

結果を求めて行動するんだから、結果が手に入ったら満足するのはに不思議じゃないですよね。

でも僕が今回お話したい内容は、結果じゃなくてプロセスについてです。

プロセスって、単なる通過点じゃなくて、幸せのアクセントにもなるし、幸せを幸せだと再認識するための通過儀礼のようなものにもなるんです

頑張った分だけ、達成した時の喜びや感動も増しますよね。
楽しみにしていた期間が長いほど、「待ちに待った」感で幸せが溢れてきたりもしますよね。

つまり、結果は幸せの一つでしかないけど、そこに至るプロセスによって幸せの度合いは変わってくるってことなんです。

もちろん、結果も大切だと思います。
達成できないとそもそも幸せを感じられないかもしれないですからね。

ただ、僕から言わせれば、結果がどうであれ、プロセスをどう踏んだかで幸せかどうかが決まると思ってるんです。

行動していれば楽しくなってくるとか、そういう話をしているわけではありません。

「行動した自分」「対価を払っている自分」
そういったものに、「これだけやったんだから報われたい」って気持ちが足されていくイメージです。

行動したこと全部が、幸せをつかみ取るための燃料になっていて、その量や大きさで幸せのかたちが決まると思うんです。

そうなると結果がかなり重要に聞こえてきますが、そこは自分がどれだけ「やりきれたか」によるんじゃないかなぁと思います。

もちろん頭では結果に執着するかもしれません。
でも、心ではどこか晴れやかだったことありませんか?

燃え尽きたというか、完全燃焼で気持ちスッキリというか。

僕は、その「やりきった感」こそが大きな幸せのかたちなんじゃないかなって思うんです。

生規模で見た時、結果って『点』なのに対して、プロセスは『線』なんです。

結果を得られた時はすごく嬉しいし幸せでも、その幸せはすぐに収まるんですよ。

でも、頑張った、ずっと我慢した、待ち望んだ。色んな工夫もしたりするかもしれない。
そんなプロセスは、ずっと記憶に残ります。

あんなに頑張ったな、あんなに楽しみだったなって『線』の記憶として幸せが刻み込まれるんです。

それに、「苦い思い出=不幸せ」ってわけでもないと思います。

確かに辛い気持ちとか、残念な気持ちが出てくるかもしれませんが、「あんなに頑張ったのに」みたいな背景も出てくると思うんです。

それが、実は「幸せ」であると感じる日もいつか来るかもしれません。

僕は、そんな苦い思い出も、今に繋がる幸せの一つだと最近思えるようになりました。

結果はダメでも、あんなに頑張れたこと。
結果はダメでも、あんなにずっとワクワク出来たこと。

そんなものは、それに取り組めたこと自体が幸せだと僕は感じています。
だから、結果が全てじゃないんです。

結果ばかりに目を向けず、ちゃんとプロセスにも目を向けていきたいですね!

ということで、本日のまとめです。

結果は分かりやすい幸せのかたちですが、プロセスにこそ幸せの本質があります

幸せをはかるにはメリットデメリットの世界じゃなくて、「どう感じたか」「どう感じながら進めていたか」みたいな自分の感情が一番重要です。

結果は、その到達点で何を感じたかにすぎません

だから、プロセスをどんなふうに進めたか、どんなふうに過ごしたか、どう感じたか、そっちの方が重要だと僕は思っています。

プロセスも最高で、結果も最高なら言うことなしですが、もし結果がダメでもプロセスが全部だめになったわけではない。

その事実は、しっかり認識しておくべきですね。
幸せは人によって様々で、色んなかたちがあって、色んな価値がある。

結果に縛られ過ぎないように、もっと本質的な幸せに目を向けられると、色んな幸せに気付くきっかけになると思ったので、今回この話をさせていただきました。

ご拝読いただき、ありがとうございました。


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