新卒2年目24歳の6月を迎えました。今の気持ち。
1年前の自分のnoteを見て、そんなこと考えてたんだなと最近しみじみと感じています。人は案外すぐ忘れるから、しっかり文章に残すことが大切だなと思うようになりました。
2024年もなんだかんだで半年が過ぎ去ろうとしていて、自分にとって25回目の夏が訪れるのですが、最近自分の人生における選択の基準が少しずつ変化してきたように感じています。
"すごくなろう"と必死だった学生時代
高校時代から漠然と自分に自信がなかった。
今の自分はすぐに"誰かに置換されるのでは"と思ってた、個性なるものに漠然と憧れを抱いてた。
"誰でもない自分"としての自尊心が欲しくて、肩書きを欲した。勉強もスポーツも最終自分にとってのアイデンティティとして肩書きを欲した。
コロナになって、これまでの肩書きが真っさらになった。事業を自分で初めてなお、"量産型"であることをまじまじと感じて苦しかった。
事業で結果が出ても、なぜかその事業に"自分じゃないといけない"が感じられなくてしんどかった。けどやっぱり個性が欲しくて、旅をしてたくさんの人に出逢いにいって、ヒントを探しに行った。
学生時代後半は割と"肩書き"というものは手に入れた。けどそれが幸せに直結するわけでもなく、むしろ「社会に価値あるインパクト」を残すべく、頭でっかちな考えを繰り返していた。
自分に残存する選択肢に対して捨てきれない感覚もあった。旧帝大理系というブランドに対しても最後までしがみついた。肩書きに対しての執着がすごいからではあったが。
生き急ぐ焦燥感のあった新卒1年目
学生時代までに創ってきた、ある種の名声とやらを一度消去してみた。「勉強」を頑張ったから得た大学という肩書きを真っさらにして会社に入った。
自分が"何者かになりたくて"必死になって創った事業を手放した。仲間たちを置いてきた。
自分の手持ちや手元にあるものもだいたいは実家に置いてきた。半分転がり込む形でシェアハウスに段ボール2つだけで上京した。
形だけ保った器用で生きれるから、あらかただいたいのことは飲み込みが早かったから、逆に刺激を求めて、Only one になりたい一心で上京してきた。
いろんなもの置いてきたから、いろんな新たなものを手に入れようと必死だった。chocoZAPという事業で自分はどんなことが経験出来るのかに必死だった。
とにかく研修期間、OJT期間が嫌で、早く実戦で役に立ちたかった。とにかく貪りつくように先輩方に聞いていた気がする。多分焦燥感。
新卒1年目から上司に恵まれ、周りに恵まれ、経験をたくさんさせてもらった。自分に足りないものもたくさん指摘してもらった。たくさん背中を見せてもらった。
徐々に別に社会や周りにすごいとか思われなくていいから、自分が自分のやってることや場所に満足出来ればいいやっていう気持ちが増した新卒1年目だった。
自分に対して一線下がってみるようになった今
最近は自分に集中しているようで、客観視しているような気持ちが増した。
"創作・創造"が好きな自分に没頭
今はchocoZAPでto B の新規事業をひたすら開拓し続ける日々だが、新規事業という未開の地を創る立場はなんだか性に合っている気がする。
資本力とブランド力、機動力を兼ね備えた場所で、これでもかと会社をおもちゃにして事業を創っている。そこには正解はわからんが試してみようという選択がたくさんある。
またto B という場所は自分にとっては初挑戦だからこそ、めちゃくちゃに刺激に溢れている。会社の冠があるから出会える人やうまい飯、事業の規模感にto C だけでは考えれなかった新しい思考の視点。
とにかく自分は「抑えきれない好奇心をその想いのままに行動する」ことが性格だから、新しい場所やコトに飛び込むことも、新しい場所を開拓するのも没頭できることがわかった3ヶ月だった。
自分の能力向上は"まだ見ぬ世界をもっと見る"ため
ありがたいことに4月より社内歴代最速で管理職に昇格となった。広告事業とコンサルティング事業。2つの戦場というかサバンナでもがいている。
業務内容もプロジェクトマネージャーは主軸でありながら、事業企画に営業企画、トップ営業、プロダクトマネジメントと、全てをやっている。ただその中で気づいたのは、マネージャーじゃないと経験出来ない、見ることが出来ない世界があること。
時にはクソ悔しいことの連続で、管掌範囲が広くなることで「知らず」が前より倍以上に認知するし、同等役職の方より能力が劣っているのがわかるから悔しいし、コトが上手く回らなかったときに前まで自分の中で出来ていた言い訳は出来ない。
けどその分その足らずを認知出来るし、役職がなきゃ立場がなきゃ出来ないことしかないし、経営に近づくからわかる社会構造もあるし、大きな案件を任せられる楽しさは快楽だし。
もっと自分の出来ることが増えて、能力がついて、管掌出来る範囲が増えて、知見が広まって、認めてくれる人や人脈が増えて、相応の資本力がついて、付いてくれる仲間が増えて、新たな目指すべき人がよりわくわくする人になって、よりでかくて社会にとっていいことを創れるようになって。
別に極論自分が周りにどう評価されようがあんまり興味はなくなり、今は「目の前のことに対して、どう価値をつくり世の中にとって意味のあったもの」にするか。自分主体のRPGのような思考の方が、よっぽどスリリングで楽しく感じるようになった。
自分の人生が意味があったといえるように
世の中は全ての人が等しく必要とされている。けれど後世にのこるようなことをした人は限りなく少ない。そう思ったときに「後世に残り続けるような傑作を創りたい」。人生の目標が定かになった。
刀の世界では、最上大業物を創った刀鍛冶はだいたい名を語り継がれる。芸術の世界はいつだってそう。自分の中で「後世に残る傑作」はどの分野なのかはまだわからんが、多分そんなものが創れたら、多分死んでいいと思えるんだと思う。
とにかく創作意欲を無限に持ちながら、自分の能力をレベルアップしつづけながら、常に人々の感性に対して感度を尖らせながら、世に必要なものを追求しながら。日進月歩に一つずつ目の前のことに夢中になることを積み重ねていこうと思います。
今は、
・chocoZAP Ad.
・RIZAPマーケティングコンサルティング
の2つの事業がまずは社内歴史に残るような、ユーザーにとってもクライアントにとっても、少しでも多くのステイクホルダーにとって、「素晴らしいサービスだ」と言ってもらえる、欲を言えば新市場開拓できるようなサービスにすることのみに執着して創作しようと思ってます。
workだけが人生じゃない
workだけが人生じゃない。もっと正根でもっと精神で繋がるような。人生を共に楽しむような友人がどれだけ出来るかはとても自分にとって大切。
自分は少人数でゆったりとした時間を過ごすことも好きだし、大人数でワイワイすることもすごく好き。特に後者はもう数少ないんだろうと思うとより大切に大切に時を噛み締めたいと思う。
人生は時間という総量がある中で、たくさんの制約を踏まえた上で、自分の納得解を選択し続ける。
歳を追えば追うほど、制約は増える。異性が絡むことはより一層。子供が出来ると制約はグッと増す。選択に躊躇が生まれ、「やりたいこと」より「しなければならない」を選ぶ場面が優先される。
もちろんその分新たな幸せの選択肢を手に入れられるのだろうが、今の目の前にある「幸せかも知れない」選択肢はもう選べないんだと思う。(僕らが高校生を見て青春だと羨むようなもの)
だから今しか出来ない、数少ないかも知れない、そんな選択肢は噛み締めるように感じたいし、可能な限り足を運びたいし、自分で創ることも大切にしたい。
世の中を"面白い"と思えるだけで幸せだと思うようになった
この世の中は「面白い」に溢れている。
当たり前ではあるけど、再認識を最近よくする。
"面白い"を世の中的に面白いと言われているとかじゃなくて、まだ自分が興味を示す、好奇心が湧くことと捉えると、多分一生面白いに溢れている。
最近の一番の収穫。それは自分が「オタク気質」なことに自分で自覚したこと。
自分は多趣味だ。様々なことに対して興味を持つし没頭する。オタク気質なんだと思う。一度ハマるととことん没頭する。最近だって食戟のソーマにハマったら四六時中仕事以外の時間を費やし3日間くらいで全部見終わり、主題歌にはまり、考察にふける。(ハマると気になって仕方がないから、逆に困るくらいではある)
昔は浮気性なんじゃないかと思っていたけど、最近になってやっと肯定できるようになった。まだハマってないけどハマるであろうものを探しまくってる感覚。ハマったらだいたいめちゃ詳しくなる。その繰り返しでたくさん知見は広まる。(だいたいの話題についていけるのは、一回はハマったからが多い)
それは仕事でもそうだし、プライベートだってそうだ。何だって新しい世界やまだ見なかったもの、まだ自分が詳しくわからないものに対して、ガキのようにハマれることは幸せ者だ。
幸せな人間だ。
今日は何を面白いと思えたか。好奇心が芽生えたか。その数だけ自分は前に進んでいると思えるから。
好奇心の芽生えを感じること。
最近の毎日の習慣。
終わり方や結論、結末やオチが見えなくなったのでこれでFinなんだけど、まあ最近の呟きかつシェアでした。みんなたくさん一緒に話そう。