侵食されるということ

谷川俊太郎と言えば、日本を代表する詩人である。僕も大好きで、作品も何冊か読ませていただいている。とても尊敬している詩人だ。

どの本だったか忘れてしまったが、谷川さんが詩を書くのをしばらく辞めた時のエピソードが紹介されていた。若い頃からずっと詩を書いてきて、自分が詩に侵食されている気がする。詩は書こうと思えば書けるが、今は詩を書くことよりも詩に侵食された自分を取り戻したい…そんな話だった。率直に僕は「なんでやねん」と思った。詩に侵食される?なんじゃそりゃ。素晴らしい詩を書けるんだから、どんどん書いたらいいのに。勿体ない…。それが正直な感想だった。

つい最近、谷川さんが『詩のボクシング』というイベントに出演した時の映像を見た。対戦相手と交互に詩の朗読を行い、その優劣を競うという、今でも続くイベントの第2回大会。1998年の映像だった。対戦相手はねじめ正一さん。どちらの朗読も素晴らしく、一進一退の攻防が続いたが、最終10ラウンドの即興詩対決の谷川さんのパフォーマンスが圧巻だった。と同時に僕は、『詩に侵食されている』を目の当たりにして戦慄した。

その場で引いたお題で即興で詩を読む。引いたお題は『ラジオ』。偶然にも先攻のねじめさんが引いていたお題は『テレビ』だった。「おいおいさっきはテレビで今度はラジオかよ」おどけて悪態をつき会場の笑いを誘う。そしてマイクに向き合った詩人谷川俊太郎。その身体は、完全に『詩』そのものだった。足の先から頭のてっぺんまでいっぱいに詩が詰まっていて、耳から鼻から詩が溢れそうだった。こんな人間がいるのか…。ドキュメンタリー映画『THIS IS IT』のマイケル・ジャクソンを観た時に感じた衝撃にも似ていた。完全に詩に侵食されている。刃物で切りつけたら血ではなく詩が噴き出すんじゃないかと、そんな馬鹿なことを考えてしまうくらい、そこにいる老人は『詩』そのものになっていた。そしてその口から出てきた言葉。それは完璧に素晴らしく、忽ち会場が空間が詩で満たされてゆくのが見て取れた。終わって巻き起こる拍手。実況解説を担当していたアナウンサーさんが絶句していた。この詩に対して言葉で何かを言わねばならないというのは酷な話だ。とんでもないものを見た。でも僕は、あぁこれなら詩を書くのを辞めようと思うのも仕方ないなと思った。あまりにも『詩』そのものだったからだ。

谷川さんは現在89歳。youtubeで最近のお姿を拝見したら、失礼ながらいくらか詩が抜けて、少し人間を取り戻したように見えた。僕にとって谷川さんは、きっとずっと尊敬して追いかけ続ける人なんだと思う。

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うえぽん
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