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子供と同じ土俵に立てる教師

こんにちは。
髪を後ろで縛る男子になろうと髪を伸ばしたところ、抜け毛による部屋の汚れが加速して心が折れそうなアラサー、坂本です。
#渋い30歳になりたい

本日は「子供と同じ土俵に立てる教師」というタイトルでお話をしたいと思っております。

ここ一週間ほど、emueでアシスタントをしてくれている鈴木さんに手伝ってもらい、note内で人気のあるesports関連記事を調査していました。

emueからより皆さんに求められる情報を発信したいと思い、その準備としての調査になります。

その中で、一際たくさんのスキを集め、私も例に漏れず心を射抜かれた記事が一件ありました。

↓こちらになります。

強敵"オメガ"を倒したら生徒が宿題をやってきてくれた話

スキの数5000超え、調査している記事の中でも本当に圧倒的な人気を博していました。
もし興味を持ってまだこの記事を見ていないという方、ここから先この記事の話題に触れますので、よろしければ先にご覧ください。

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♦︎ネタバレ防止の空間作りの為にラクレットの写真を掲載します♦︎

記事のあらすじをざっと説明しますと

1. 塾のバイトに入った筆者、子供たちは授業を全く聞いてくれない
2. 子供たちはゲームの話ばかりしている
3. 筆者は子供に勧められた『ファイナルファンタジーV』を購入
4. 強敵"オメガ”を倒せたら宿題をやると子供が宣言
5. 先生、必死の努力の末にオメガを撃破
6. 子供たちが初めて宿題やってきてくれた

このような話になります。
私はゲーマーを名乗るくせにFFシリーズを全くやったとがない愚かな人間でして、FFⅤについて語ることはできません。
しかし、先生が試行錯誤の末に強敵"オメガ"を倒したことが子供たちの心を打ったこと、ここについて私見を述べたいと思っています。

GTOの鬼塚は何故魅力的なのか

GTOという漫画をご存知でしょうか。
私達世代に知らない人はいないでしょうが、若い子たちは知らないかもしれません。GTOは「Great Teacher Onizuka」の略で、ヤンキー上がりの鬼塚という男が高校教師として生徒たちとバチバチの争いをしていく漫画です。

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僕が子供頃によく通っていた接骨院(柔道部でよく怪我をしていた)などに置いてあって良く読んでいたのですが、僕はこの鬼塚が大好きでした。
勿論漫画なので、ありえない表現による鬼塚のスーパーヒーロー感にも魅かれていたところもありますが、「こんな先生がいたら楽しいのにな」とも思っていました。

でも、なんで鬼塚は子供にとって、「こんな先生いたらいいのに」って思わせることができるんでしょう?

私はいつかesportsと教育を掛け合わせた活動をしたいと思っていまして、一時期この疑問について考えていました。

そこで出した結論は、「鬼塚は子供たちと同じ土俵に立って接してくれるから」です。

子供と同じ土俵って?

例えばGTOに出てくる男子生徒たちが関心を持ってるゲームやバイク、
生徒たちにとっては

ゲーム = 楽しいもの
バイク = かっこいいもの

となっているでしょうが、どうやら普通の教師にとっては

ゲーム = バカがやるもの
バイク = 不良が乗るもの

と認識されてるようです。しかもこの判断、恐らく教師はゲームをやったこともないし、バイクに乗ってもいないのにです。

自分の好きな事を、体験したこともない人から一方的に否定されたら、普通ムカつきますよね。

しかし主役の鬼塚先生は元不良ということもあって、
ゲームの腕もトップクラス(吉川には勝てないが)、バイクもゴリゴリに乗りこなしています。

漫画の描写で腕前が圧倒的になってしまっていますが、生徒たちと同じように遊んでいるという点で、同じ土俵に乗っているんですよね。

大人と子供、教師と生徒、この立場関係の違いで、私たちはついつい子供や生徒の立場の人を見下してしまっていることがあるんじゃないかと思うんです。

そんなことされたら、自分の言うことを理解しようという努力もせずに否定されたら、相手の言うことも絶対聞いてやるものかって気持ちになっちゃうと思うんですよ。

記事の紹介させていただいた筆者さんは
「ゲームってそんな楽しいの?」と生徒達に聞き、そんなに楽しいものなのかと興味をもって、子供たちの心を理解するためにゲームを買ってきました。

この時点で子供たちと同じ土俵に上がっている。子供たちも、同じ土俵に上がってきた先生に様々なアドバイスをします。
明らかにこの時点から、子供達が会話をしてくれるようになっているようです。

そして記事の筆者の凄いところは、最終的には子供たちのレベルまでゲームをやり込んだこと。
自分たちと同じレベルまで上がってきた先生に、子供たちは尊敬の念を抱いて「宿題をやる」という行為で先生の努力に報いました。

記事の先生は最終的に「土俵に上がる」のはるか上までいっちゃいましたが、土俵に上がるってつまり、「相手の話を聞いて、受け止める」ことだと思うんです。

僕らが歳をとったら

子供たちと同じ土俵に立ってあげられるかな?
ゲームの話題なら余裕でしょう、好きだもの。

でも、もし20年後、私が50くらいになったときに、子供が自分では全く理解できないよう事に一生懸命打ち込んでいたとする。

それが将来的に子供のためになるのかめちゃくちゃ不安になる。
それでも、ちゃんと同じ土俵にあがって、話を聞いてあげれるだろうか?

でもそういう時に真剣に同じ土俵に上がって話聞いてやれるってのが
Greatな男ってやつなんじゃねえかなぁ、、!(キリッ)

そう、そんな男に俺はなりたいと思い

髪と髭を伸ばし(まずは見た目を渋く)

フィンランドの幼稚園で子供たちと永遠と鬼ごっこをしたのです
(同じ土俵で全力で遊ぶ)

・・・・・・

どうしたらGreatな30歳になれるのかなー

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