無料連載小説|紬 12話 流行
八月になると暑さも本格的になってきて、ベランダにいるメンバーも減っていった。私を含めて3人が固定メンバーだ。1人は40歳くらいの早紀さん、もう1人は30歳くらいの美優さんだ。2人はこの病院についてとても詳しい。他のフロアにいるイケメン男性看護師さん情報まで把握している。どうやって入ったのか分からない。私が純露を2人にあげると、早紀さんはお礼のように私を誘い始めた。
「歯科にすごくイケメンの先生が入ったよ。せっかくだから3人で診察してもらおう」
男なんて見たくもなかったけれど、こういう会話を断っても空気が悪くなるだけだ。でも私は飴を食べた後でも歯を磨くほど口の中には気を使っている。小学生の時は歯の健康優良児だった。どこを診てもらえば良いのだろうか。そんな私の疑問を察してか、美優さんがわざとらしく話に乗り始めた。
「私、歯肉から血が出るんだよね。もうドボドボに。行くしかないね」
「だよね?私も貧血になるくらい。看護師さんに言ってくるね。紬ちゃんも行こうね」
女性病棟らしい楽しみだ。最年少の私はうなずくほかなかった。まさか先生に何かされるなんて思ってないけど、男の人に触られるのは嫌だ。もう男に触られたくない。
翌日、私は担当の看護師さんに呼ばれた。ラグビーの選手みたいな体格をしている割に声だけ優しい看護師さん。こんな人と結婚できる女の人は幸せなのかも知れないなと急に思った。これから見学に行く、格好いいと評判の歯医者さんを勝手にイメージして、チャラチャラしてると決めつけていたからだろう。部屋の前に着くと、私は長椅子に座り、看護師さんと話をした。
「どんな先生なんですか?」
「すごく爽やかで優しげな先生ですよ」
爽やかイケメンなんだ。少し安心した。それに優しいなら良い先生なんだろう。だけど、優しい先生に嘘をついて受診して良いんだろうか。
奈月、私が初めてあなたに会った日にダイナソーJrのTシャツを着てなかったら、私に興味を持たなかった?もしそうなら、あのTシャツは世界でいちばんのラッキーアイテムだ。そのラッキーの影にあなたに対する引け目や、捨てられることに対する不安や苦しみがあったとしても。