not so sweet memories
久しぶりにFacebookをのぞいてみたら、高校のときの同級生が、当時の部活の顧問の先生が還暦を迎えて、そのお祝いをしました、という書き込みをしていた。
私は同じ部活じゃなかったので呼ばれてもないのだが、高3の時の担任の先生だったので、比較的関わりは深い方だった。ただ、もしその席に呼ばれても行かなかったと思う。
その先生に限った話ではなく、自分の学生時代、特に中高を振り返ると、理不尽が本当に溢れていた。そして教師からの体罰はごく当たり前に行われていた。
こちらに非があるケースもあるのだけれでも、中高生に大人が暴力を振るう感覚が、今改めてわからない。間違ってると思う。
自分は決して不良の類ではなかったが、多少なり色気付いて当時「学生らしくない」とされる態度や服装をすることもあった。
整髪料をつけて髪をツンツンにしてることで殴られ、校則に沿ってない靴や服を履いていることで殴られた。深夜に遊んでて補導されて、気絶するくらい殴られて「お前の将来はなくなったな」と、言われたこともあった。(中学の時ですよ)
我々の世代の(地域性もあるだろうが)多くが、大小はあれ、教師による理不尽な暴力を受けたことがあるように思う。
いわゆる同窓会というものには行ったことがない(呼ばれてないのかな?笑)のだけど、僕が想像するに「あの時代、理不尽に殴られていたよな〜」なんて話題が笑い話のように、懐かしき思い出として語られてるのではないかと思う。
そして想像するに(想像でしかないが)「けど、あんとき殴られたのも、今になっては感謝してるよね」などと、大人な帰着をしてるのではないだろうか。
僕はそこは明確に感覚が違っていて、過去の話であれ、理不尽な暴力など、今でも許すべきではないと思う。まぁ正直しょっちゅう思い出すほどこちらも暇ではないのだが、許しちゃダメだし、できる限りそれを受けた当時の痛みのままに、憎み続けるべきだと思う。
1番誠実な態度としては、ゆきゆきて神軍の奥崎くらいの狂気を持って、暴力を受けた教師(きっと今は好々爺)の自宅を巡り糾弾することとさえも思う。
ただ、残念ながらそこまでの真摯な怒りもエネルギーも時間も持っておらず。
年に一回自分の誕生日に、よく覚えてもいない高校の教師からFacebookで「おめでとう!43歳もがんばれよ!」などのメッセージがきて、誰やお前、敬語使え!とか思いつつ、一定ちゃんとした大人なので「先生!今年もありがとうございます!」などと返してしまう。
ただそれでも、怒りは捨ててはいない。
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