ボランティアということ。その気づきと学びについて。

自分が心身症になって、とても辛かった時期があり、会社を転々として休職を繰り返していた時、ある心の病で2ヶ月入院したことがあった。周りの主治医、看護師、病院の方達にお世話になり、退院した後も転職を繰り返していた。
かかりつけのメンタルクリニックの先生に病後をみてもらいながら、自分の病気が本当は何だろうと病名を知りたくなり、ネットで検索して病識を持ってしまった。かなりつらい気持ちになったが、家族に説明しても分からないし、主治医に診察してもらいながら、ポジティブに生きていこう、健康的な生活を送ろうと思い直して、仕事にすぐにつけない状態から始められそうなことを探したら、ボランティアがまず思いついた。
すぐに行動しようとネットでボランティア関係のことを調べ、飯田橋の東京ボランティアセンターに行こうと思い経った。
東京ボランティアセンター(通称ボラセン)は、自治体が運営するハローワークに似た雰囲気があって、ボランティアをしたい人の相談窓口、あるいはNPOを設立したい人のための事務所でもあり、またボランティア団体が作業をする場所を担っているようだった。
まずは窓口の職員に、何か自分にできるボランティアはないだろうかと相談させていただいた。若い女性の職員は、自分に質問をしながら端末で検索してくれて、数件のボランティアを教えてくれた。
その職員に相談した時に決意したかは忘れてしまったが、クルマの運転が好きなので移送サービスをやろうと思い、それも有償ボランティアという収入がある点と、また足立区の竹ノ塚に拠点がある利便性で、イージーライダーという団体の代表、南條さんに連絡をとった。
南條さんはボランティアをしている人らしく、やさしい口調で会う約束をしてくれて、都合のつく日を伝えてくれた。自分は新しいことを始める不安、緊張感を感じながら竹ノ塚の事務所まで向かった。南條さんの他に、イージーライダーをまとめて運営しているNPOの代表の男性と3人で会い、事務所で移送サービスの簡単な説明をしてくれて、まず実際にマイカーではなく福祉車両で、車椅子の方の送迎ができるかどうか、同乗してドライバーとしてのテストを受けさせてもらった。
それは自分が思っていたよりやさしい課題に思えて、多少ぎこちない運転技術だったと思うが、イージーライダーとして、この団体で移送サービスのボランティアに参加していいと認めてもらい活動を始めることができた。
その時NPO代表の男性が、「このドライバーの仕事では商売にならないけれど」と話してくださった。ボランティア活動がサブビジネスとして収入源になるという期待をしていたが、それは、このボランティア活動をしながら、やはり社会復帰して定職に就かなければならないということに気づき、まだ心身ともに就職する段階ではないと思っていた自分にとっては、正しい選択だったと今、振り返って思う。
実際の移送サービスのボランティア活動は、自分が考えていたより多岐に渡っていた。自分では歩くことができない車椅子で生活をしている障害をもつ人たちへの、福祉的な役割を担っていた。例えば自分が経験したことで挙げられるのは、医療を受けるサービス、学童保育の送迎、家族の法事の送迎、時には、札幌から飛行機で学会に参加する団体の代表とメンバーの方たちのためのディズニーランド観光など、障害を持つ人たちのあらゆる生活面で送迎あるいは移送サービスとがとても大切なことを学んだ。
海斗君という小学生のハーフの男の子の送迎を南條さんから任され、養護学校のバス停から学童保育所がある公民館まで、本当に短い距離をヘルパーの小川さんという女性とペアで担当することになった。頻度は週1回か2回だった。一度、曜日を間違えて遅刻して、マイカーで送迎してしまうという自分のダメなところも時にはあったが、そこから学んだことも多かった。
短い時間の送迎サービスであっても、車椅子の子にとっては、送迎車はタクシーを使うより安いだけではなく、安全な福祉車両である点も必要なサービスであったと思う。
自分はただ時間が短い、大きい通りにバスのように停車して送り迎えし、短い距離をちゃんと学童のある施設の駐車場までのドライバーという簡単な作業という認識で、有償ボランティアとはいえ、お金にあまりならない不満も正直感じていた。
でも、やはり海斗くん自身はもちろん、また、働いている両親が送迎をしなければならないという負担を減らすことは出来ていたのだと思う。意味は確かにあった。
不思議なのは、この短い時間の作業が、ただのボランティア活動には思えないし、有償とはいえ仕事とは思えないし、このおこないは一体何だろうかと、今、これを書きながら考えるのだけれど、仕事よりも意味があるように思えるし、デイサービスの送迎の仕事もさせていただいたが、そのビジネスライクな感じも、障害者福祉にはほとんどなかった。
勤労奉仕という言葉があるけれど、これは勤労福祉というようなニュアンスだと思う。
福祉をビジネスにする人は間違っていないし、自治体や社会福祉協議会など、そういう公的な専門家がサポートした上での障害者移送サービスのNPO団体が存在するという仕組みだったようなので、その中での本当にいちドライバーのお手伝いという謝礼をいただけるソフトな感じでの福祉ボランティア活動を、仕事に就く前に経験することが出来て改めて今振り返って本当によかったと思う。
別のイージーライダーでの活動では、亜紀さんという重度の障害を持った女性のお手伝いを経験出来たことが、その後の障害者の方への接し方や障害者への偏見を取り除くことができるきっかけになった。
亜紀さんは母親と二人で暮らしていて、公的、私的な福祉サービスのサポートを受けて生活をされていた。
母親に一度だけ会った記憶があるが、その女性は、亜紀さんの障害のことを自分がお会いした時にはほとんど悲観していないし、その方の生活が亜紀さんのおかげで一変してしまったという雰囲気も全くない母親だった。
ただ不安はありそうだった。もし自分が先にいなくなった時、亜紀さんはどうやって生活していくのだろうという不安。それは亜紀さんの家で、かなり重要な問題であったに違いない。
それを感じた自分は、どうしても心が痛んだ。何か手伝えることはないか、有償ボランティアでも無償の奉仕でもいいし、どういうケースでもいいのだけれど、その時仕事をしていなかった自分が、やるべきことという気づきがあったに違いない。
やる気という言い方では失礼があるかもしれないけれど、やる意味をとても感じて、送迎ドライバーとして亜紀さんの歯科検診などを担当させていただいた。
亜紀さんのサポート添乗員は、イージーライダーの女性の代表格の南條さんだった。それはなぜか分かりやすくて、重度の障害を持った女性のサポートはとても経験が要り、大きな視野、亜紀さんの生活の質の向上、また亜紀さんがひとりになった時の将来の不安をご家族から取り除くこととかを考え行動できるヘルパーでなくてはならないからだ。

亜紀さんのサポートはとても繊細さを要求された。

大きい企業に勤めて、ハードワークでプレゼンの準備に毎日深夜まで追われていた自分にとっても、全く違った分野ということもあるが、とても難しいミッションに感じた。
「ケア」繊細なケアを必要とするのが障害者福祉の特徴のひとつであったと今振り返って思う。
送迎ドライバーの自分の場合、ただ安全にゆっく福祉車両を走らせることだけではダメだった気がする。
亜紀さんの歯科検診の最初の頃、添乗員の南條さんに指摘されたのは、きちんと後ろを見ているか、あるいは後ろの状況を意識しているかという指摘。ソフトな教え方ではあったけれど、そこでその時はただ安全運転の範囲でしか想像がつかなかったけれど、またこれから南條さんのところで移送サービスの有償ボランティアを始めるにあたり、あらかじめ意識しておかなければならないことだと考えている。
例えばベンチレーション。冷房や暖房が亜紀さんにとって快適かとかも、送迎車両のドライバーとして最低限安全運転をしようと必死だった自分には、その当時は気づくことができなかった。
人によっては、そこまでと思う方もいるかもしれないが、障害者福祉において大切な「繊細なケア」の精神に則ればやはり普通に感じてやるべきことのひとつであったに違いない。
改めて、自分のやっていた障害者福祉の移送サービスの奥深さを感じてしまう。

自分は、重度訪問介護の公的な資格をイージーライダーで取得させていただいた。
将来仕事に就く時、履歴書に箔がつくという感じでしか考えられない時もあったけれど、実際に研修を受けていた時は真剣に学べていたと思う。
例えば、水分の摂り方では、亜紀さんに注射器で口に水を含ませるようにして、繊細なケアとして学ばせていただいた。
あと、同じ姿勢でベッドに寝続けると体に床ずれができてしまうので、定期的に体の向きを変えてあげなければいけなかったことも思い出した。
あとは、公共交通機関での移動も。
本当は送迎に使う福祉車両で送迎出来れば一番いいのだけれど、障害者の方が外に出て活動するということが、どれだけ大変なことか知れ、また、とても大切なことという自分の気づきもあったし、周りの一般の乗客の方達もきっと何かを感じてくださったと思う。
そういった資格を取った自分だから考えるのかも知れないけれど、もしドライバーとして自分に無理がない範囲でやれるのであれば、亜紀さんが暖かい陽気の時に車窓を楽しそうに眺めていらしゃるか、目視して確認してみてもよかったかも知れない。
危険だと思う方は、そういう意識だけでもしながら送迎のお手伝いをすれば、繊細なケアの精神に包まれている車両が走っているという風に、街を行く人たちが、あたたかい心になって見守ってくれるような気さえしてしまう。
それは誰も辛くなく、心が痛まない世界だと感じる。
自分がこの障害者福祉の移送サービスを始めた頃、添乗員の方のどこかしんどそうな感じ、他にいい仕事がないから障害者福祉の意味をあまり感じないで活動されている方がいるだろうという既成概念が自分にはあった。
よくわかってなかった自分に恥ずかしさも感じてしまうが、なかなかそこまで気づいて日常生活を送ることは、一般の方達にとっても難しい話のような気がする。

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