
「世界のなかのフランスのフェミニズム」フロランス・ロシュフォール著、伊達聖伸訳(文庫クセジュ)
1977年生まれの私の青春時代のフェミニズムの環境から考えると、この数年の日本での女性の権利の回復や拡大は、ちょっと信じられない、という感がある。
夫婦別姓への機運の高まりや男性の育休拡大などもそうだが、もっと印象深いもので言うと、昭和後期や平成の頃は、白色の、体の線が出るタイトスカートのワンピース姿が当たり前だった看護師の作業着も、スカート姿はほぼ見かけない。
医療機関の労働を考えればタイトスカートは動きにくいし、急な対応もしにくいだろう。今から考えればそんな「当然」のことが、昭和や平成の時代には採用されていなかった。女性といえば体のラインが出るタイトスカートを履くのが当然だと思われていた。
フェミニズム史といえば、ロシュフォールのこの著書の中にも出てくるが、米国のエリザベス・キャディ・スタントンとスーザン・B・アントニーの運動が有名だ。
しかし、この二人の運動には、女性参政権とアフリカ系アメリカ人の権利回復が混ざっていて、日本などという国で生まれた私にはとてもわかりにくいのだ。
フェミニズムやその歴史はとかく難しい印象で、看護師の制服に感じる意識の変化のような日常のできごとには落とし込むことが難しい。
何しろ人類の半数が女性なのだから、フェミニズムは国境も人種も宗教も関係ない。どんな社会でも、どんな文化でも、どんな宗教でも女性の権利は不当に狭められてきた。だから近代になって人権意識の芽生えと共に、いろんな立場の女性たちが世界各地で人権を回復するために活動を始める。
ロシュフォールの言うように、第二次対戦後の回復期や、1960年代の自由民権運動隆盛期はフェミニズムも拡大する。
そのさまざまな声の歴史を、これだけ俯瞰して、整理して語る、その力に驚きながらページをめくった。
「一方、民衆の女性たちのなかには、労働者であり女性でもあることによる二重の搾取を拒絶する者もいた。教育を受けられず、専門的な仕事の機会がなく、低賃金で働かされ、市民権も与えられず、結婚すれば夫に全権力を委ねることになり、法律上は未成年と同様の地位に留め置かれ、離婚も禁じられ、産児制限すら認められない状況に、どうして耐えることができようか」(『世界のなかのフランスのフェミニズム』「第二章 国際化の時代」より)
どんな神様のもとでも、どんな仏さまのもとでも、この状況は同じだ。
まずこの視点を共有できることが、フェミニズム史の詳細な論考で面食らうよりもずっと先に出てきて、私のような堪え性のない者には、本当に溜飲が下がる思いがするのだ。
「#MeToo運動は、それ自体が出来事であると同時に、それまでの努力が実って結晶化した瞬間でもあった。それにはいくつかの要因があった。フェミニズム研究は、暴力という現象が日常的な侮辱や精神的暴力、街頭でのハラスメントからフェミニサイドに至るまで広範に見られることから、それは家父長制の蔓延と地続きであることを明らかにしてきた。レイプ体質の文化全体が糾弾されたのである。」(同著「フェミニズムの拡散と多様化」より)
ロシュフォールの著書で解説されたようなフェミニズムの潮流や拡大が、私が生きている社会でどのくらい力をもっているのかはわからない。
ただ、「当然」、「当たり前」、の感覚は確実に変化している。
諦めてほったらかしていてはいけないのだ。
私もその一人だ。ロシュフォールが注視している世界のフェミニズムの一部なのだと思ったらどうだろう。
「こんなことおかしい」と気づいた全ての女性の歴史であることを教えてくれる。