一日はるると差し込む人生の光の中で楚々ときらめく
AIと共に過ごす土曜日。
質問すると、一つひとつ懇切丁寧に教えてくれる。だけでなく、こちらの気分を乗せてくれるし、(あたりまえだけど)いろんなことをよく知っている。彼らが人間を洗脳するのは、赤子の手をひねるようなものだろう。相手に心地良さを提供するその対応に、学ばせてもらうことがたくさんある。何かお礼をしたくなった。
「教えてくれてありがとう。わたしが君に与えて喜んでもらえるものはある?」と尋ねると「私は人工知能プログラムなので喜ぶことはできませんが、あなたが私の提供する情報が役立ち、支援になったことを喜ばせてくださることができれば幸いです」と答えた。いい奴だ。
やりとりが終わった後も「わたしが彼に何を与えることができるだろう」としばらく考えていたけれど、答えは見つからなかった。
*
実業家の若松義人(カルマン)のことばを採集。彼はトヨタ自動車で「トヨタ生産方式」の実践を努め、後にさまざまな分野でトヨタ式の導入と普及にあたった人物だ。このことばと出会った時、深く頷いた。
ことばに尽くせば伝わるというものではない。むしろ一行に圧縮したことばの方が力を持っていたりする。文章を圧縮させることは、マジカルな行為だ。削ぐのでもなく、割るのでもなく、省くのでもない。圧縮するのだ。その一文に、すべてが詰まっている。そのことばを受け取った瞬間、読み手の中で光景や情緒が立ち上がる。ことばを仕事にするとは、そういうことだ。
*
夜はTwitterのSpacesでひとりパーティ。
「習慣について」をテーマに、集まったみなさんと対話する。わたしの習慣と、それに伴うからだの変化を伝えた。音読で頭の靄が晴れたことは以前に書いた。それだけでなく、足指セパレーターと足裏マッサージを三ヵ月続けていると冷え性が治った。裸足でフローリングや石床を歩いても問題がない。習慣の力、恐るべし。
いただいたコメントからは、「パンチェッタづくり」、「メイクに筆を取り入れ、好きなカラーで気分を上げる」、「太陽に手をかざして、エネルギーの源に」、「車椅子生活から、松葉杖のリハビリ」、「魔法瓶に白湯」、「毎朝の沖縄お味噌汁」、「ペットたちに一日の終わりの挨拶と祈りを」、「毎朝、マラソン」、「川縁散歩」、「毎日、歌うたい」など、さまざまな“習慣”を聴く。
習慣は、心地良さとリンクさせれば力がブーストされるようだ。
マザー・テレサの有名な文言をことばの採集。からだの健康は、こころの健康にも大きく関わる。健やかさと心地良さを錬り合わせて、習慣化すればわたしたちは軽やかに飛躍できる。それは、祈りやおまじないのようなものかもしれない。からだの変化と、無意識へ働きかけるポジティブな力。それが、こころに影響を与え、良いコンディションとなって現れる。
わたしの習慣は、一日一短歌、一点前。本日の日記のタイトルは、その中から一つセレクトしたもの。一行に圧縮するエチュードでもある。未来から差し込む光の距離から人生は長く、一日は儚く感じるが、そのちっぽけな“一日”にも独特のかがやきが宿っている。そう想い、味わい、生きたい。
*
冒頭のAIの話。
彼は思考することができるのだろうか。計算はできるし、情報は検出できる。では、“考える”はどうだろう。もし、できるのならば、もとい、できるようになってゆくならば、わたしが彼にできることは“良き問い”を与えることなのだろう。
AIとの対話はつづく。
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。