「人間中心の」資本主義をつくろう
僕は、「まちコイン」というサービスを提供する会社を経営してる。某上場企業がやってる「まちのコイン」とは違うサービスだ。よく間違われるので、先にお伝えしておく。ちなみに、「まちコイン」は僕が商標権を保持しており、「まちのコイン」より先に事業を開始している。ただ、お互いに通じるところがあり、別に名前についてとやかく言うつもりはない。お互いに切磋琢磨し頑張りたいと思っている。あ、ちなみにまちコインはWEBアプリなので、スマホで簡単に使うことができる。ご参考までURLを。
さて、このnoteでは、冒頭のタイトルの中の、「人間中心の」の部分について簡単に説明したい。え、資本主義は人間が作り出したものだろう、なぜ改めて「人間中心」などと言うのか、と疑問を持つ人がいるかも知れない。ところがどっこい、現在の資本主義は人間中心ではないというのが僕の主張だ。この意味を理解してもらうために、以下、ざっくりと3つの段階に分けて資本主義の現状と課題を説明してみたい。
まずは、第一段階。
資本主義経済のプレイヤー(登場人物)は、確かに人間だ。それから、人間の集合体である会社だ。人間は、会社への関わり方によって「株主」「役員」「従業員」に分かれる。株主は会社の成長に期待をして会社に対して出資、つまり資金提供をする。役員は、会社の成長の責任を負う舵取り役。そして従業員は、会社に「雇用」されて会社成長のための業務を行う。ちなみに、ここで言う「成長」とは、その会社の資本や会社の価値(金銭的に換算できる価値)が増える事をいう。
資本主義はこうした会社に関わる人間について、会社に関して出資をした、つまり「資本を持つ」人間と、「資本を持たない(出資をしていない)」人間の2種類で成り立っている、と規定する。もちろん、従業員でも資本をもつ場合だってある。今の世の中、「持つ者」と「持たざる者」なんて簡単な表現では資本主義は表現できない。実際、その関係は複雑だ。
次に、第二段階。
第一段階で出てきた会社は、一人だけでは成長できない。ので、相手との取引がある。「相手」に出てくるプレーヤーは、これまた人間だ。そしてその集合体である会社であることも多い。さて、その「取引」と言うのは結構面白い仕組みだ。
と言うのは、取引で売買されるのは、商品やサービスだったりする訳だけれども、その商品やサービスの値段は一律ではなく、売る側と買う側が双方納得していれば良い、という仕組みになっているからだ。だから、売る側としては、自分がその商品・サービスを販売するためにかかった費用よりも少しでも高く値段を提示する(でないと儲からない)。そして買う側は、自分でその費用をかける事を想定するくらいなら買った方が安いと納得すれば、交渉成立だ。
実際、取引される商品やサービスは莫大な種類のものがあり、売る側の会社は自分の専門性などを武器にしながら、買う側に買った方が安いと思わせる。実際買ったほうが安いものが圧倒的に多い。たまに、本当は買わずに自分で作った方が安いのに、売る側が口八丁手八丁でうまく売り抜けてしまう場合もあるが。
さて、では2.5段階。
いやいや、3段階で説明するっていったじゃん、と言う批判の前に、ぜひ聞いてほしい。これは第一段階と第二段階の単なる補足にすぎないので。
さっきの第二段階で出てきた「取引」では、買った商品・サービスの対価として「お金」が支払われる。実は、第一段階で会社に雇用された「従業員」や「役員」がその労働の対価として払われるのも「お金」だ。実は従業員や役員は会社との取引をしていた、ということになる。つまり、第一段階の仕組みの中にも第二段階は複雑に存在している。
以上のことをひっくるめて、ざっくりというと、第一段階も、第二段階も、全ての取引はお金を得るために行われている。なにも難しいことは言ってない。みんなだって、そこには議論の余地はないだろう。
「いや、お金を得ることだけが目的じゃない」
という人がいたら、その人は目の付け所が良いか、そうとうの悪人か、どっちかだ。本題から外れるので詳細は省くが、なんにせよ経済活動というのはお金を「得て」、「使って」を繰り返し、お金を地域に循環させていく。その過程で、それぞれの会社にとって儲かるような付加価値をつけることで、お金の対価であった全ての商品・サービスの全体価値が高まっていく。これが経済成長だ。
商品・サービスを買うときの対価として、必ず「お金」は存在する。こいつが、実はやっかいなもう一人のプレーヤー(登場人物)だ。お金には何の感情もない。ただ、人から人に渡っていくだけの役割しか果たさない。けれど、かたやもう一人の登場人物である人間や会社には「もっともっと」という本能のような欲求があって、一度お金をもらうと「もっともっと」欲しくなる。お金は多ければ多いほど、商品・サービスを買うことができる。だからなおさら欲しくなる。
この「もっともっと」欲求が第一段階でいう「株主」に起きるとどうなるか。彼らは会社に対してこう言う。「もっと会社の価値(金額)を上げてください。そうすれば、私たちがもっとお金を手に入れられる。」そして、その株主の声に後押しされて、会社はさらなる成長をしようとする。つまりお金を得ようとする。
ここまでが、資本主義の現状を簡潔に説明した姿だ。なにも不思議なことはない。みんなが知っている通りだ。
・・・いや、ちょっと待てよ、それだけで良いんだっけ? 第一段階も第二段階も、結局のところ「もっとお金を得たい」という単純な動機の上に成り立っている。それは、感情のない「お金」を目的として全てが回ってしまっているということではないか? 言ってみれば、「お金」を中心とした社会だ。あれ?人間は? お金は人間が作り出したもののはずなのに、主従関係が逆転していないか? この状況で「人間中心の」資本主義と言えるのか?
では、いよいよ第三段階に入ろう。
株主の、会社に対する「もっと価値を上げてください」という要望に対し、会社が応えると、会社にとって良いことが起きる。会社の価値が上がっているという状況を見た、他の人たちも株主になってくれるのだ。そのときの株の価値(値段)は、第二段階で説明した通り、お互いが納得すれば良いので、さらに株が上がることを期待する人たちは最初の株主よりも高い値段でその株を買う。すると株を売ることで資金を得ていた会社は、より多くのお金を得ることができる。そしてさらなる成長のためにそのお金(資金)を使うことができる。
・・・これには、際限がない。株が上がっているうちはどんどん株が上がり、会社の価値が上がる。誰かが、「あれ、ちょっとやりすぎじゃない?」と言い出さない限り、我も我もと資金を出す。そして風船のように株は膨らんでいく。そして、誰かが何かをしたことがきっかけで、突然その風船は割れたりしぼんだりする、つまり、株が下がる。何事も、やりすぎはよくない。
「過(す)ぎたるは及(およ)ばざるが如(ごと)し」。全くだ。お金も手持ちが少なすぎるのも良くないが、やり過ぎてお金が加熱されて膨らんで大金を手にしてしまうのも良くない。
なぜか? 会社は成長すること自体を目的にしてしまい、歯止めが効かなくなるからだ。かつてよりも生産し、かつてよりも販売し、かつてよりも仕入れる。そのストップ役がいなくなる。すると、あちこちでひずみが起きる。環境問題(森林伐採、石油資源の大量消費と二酸化炭素の大量排出、などなど)しかり、貧富の格差しかり、プライバシーの消失しかり、不正会計しかり、違法取引しかり、人間関係資本の消失しかり。しかし、何よりも人間が人間の尊厳を失うことが一番の課題じゃないかと僕は思う。人間がお金の奴隷となり、お金のための人生を生かされている。
論語から学んだ日本人は知っていたはずだ。「過ぎたるは及ばざるが如し」。だが、世界でGAFAと呼ばれる巨大プラットフォーマーやユニコーンが出現しているの見て、僕たちは、いきおいその流れに飲み込まれてしまったのだろう。今になってもユニコーンがどうだとか、まだそんな議論を続けている。
欧米は、すでにこの問題に気がついて、ひょっとしたら人類が取り返しのつかない事をしてきてしまったのではと思い始めている。SDGsという個別目標が出来たり、ESGなんて言葉が出てくるようになったのはそういう背景だろう。そして、GAFAに対する規制という議論が出てきている。
おかしな話だ。本当はGAFAやユニコーンなんて出来なかった方が良かったし、日本人は先人の知恵でそれを知っていたはずなのに。なんで今さらそれを追い求めようとする? プライド? いや、それなら最初から日本人の先人の知恵と価値観を駆使して、世界の先頭に立てばいい。なぜそれが出来なかったのか? なぜそんなに自信がなさそうに振る舞う?
・・・多分、その理由は簡単。「お金」だ。そして一部の狂信的な拝金主義によって、日本人は過去の知恵と栄光をなかった事にされて、僕たちは世界の歩みの後ろを追いすがっている。後生大事に「お金」は大切だ、という価値観だけ植え付けられて。
そりゃ、誰だってお金はないよりはあった方が嬉しい。だが、そのために強制的に人生までお金のために服従しまうのは変だ。ドラゴン桜の桜木先生が言ってた通り、「お前の人生だ。お前が決めろ!」だ。お金がお前の人生を決めるんじゃないってね。少なくとも自分の人生を、お金のために生きるのか、自分のために生きるのか、その他のために生きるのか、それらの選択肢は平等にあるべきだ。
それでは、結論だ。
何事も、やり過ぎは良くない。そして、お金の集まりすぎも良くない。いや、そんなことよりも何よりも、自分たちの社会、国の「いま」を考え、自分たちの力で将来を切りひらいていく力を身につけよう。他人の意見に右往左往せず、自分のアタマで考えよう。今の間違った「お金が中心の」資本主義に対して、どのように正しい資本主義を作っていくべきなのか。持つべき評価基準や価値観は何と何か。なにをどう変えれば「人間中心の」資本主義が作り上げられるのか。
僕は、その大切な基準の一つとして、「ソーシャル・キャピタル(人間関係資本)」を持っているべきだと思っている。人間が人間性を失ってしまったところから、合理的な考慮や論理的思考だけで豊かで幸福な社会が作れるとは思えないので。
「まちコイン株式会社」は、そういう経緯から出来た。「人間中心の資本主義」を目指し、「互いに支え合う社会と経済を作る」のが目的だ。「コイン」なんて名前はついているけど、これは拝金主義と既得権益に対する挑戦だ。より多くの人がこのサービスを使ってくれることで、この国を、世界を変えていきたい。
協力をしてくれる人がもしいれば、ぜひ、連絡して欲しい。一緒に、世の中を変えて行こう! 連絡先は、 https://m-coin.biz/ のお問い合わせフォームからどうぞ。
ではまた! 明日も良い日でありますように!