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ある日、涙が出なくなった

幼少期は毎日のように泣いていた。おそらく小学生のときに泣かなかった日は1日もない。友達に泣かされたり、失敗が悔しくて泣いたり、サッカーの大会で優勝したときも涙を流していた。もう本当にどうしようもないぐらいの泣き虫で、先生も手を焼くほどだった。

なぜあれほど簡単に泣いていたのかは自分でもよくわからないし、何がきっかけで泣かなくなったのかも正直覚えていない。ちなみに簡単に泣かなくなったのは、中学生の頃だ。体とともに心が少し大人になったのかもしれない。弱虫を卒業し、毎日が天国だった。人生は楽しい。もっと楽しいことをしていたい。そんな日々がずっと続くと思っていた。

人生の歯車が狂いはじめたのは、高校生の頃だ。何を見ても、何をされても涙は出ず、自分の心が、感性が死んだのかもしれない。そう思えるほどだった。

人の涙は一度枯れるのかもしれない。涙を流さなくなった原因は、家庭環境だ。大好きだった母が癌になり、生活は一変する。中学を卒業してからの生活はそれはそれは最悪だった。いまでこそあのときの苦しい体験があったからと思えるけれど、当時は死にたいとしか思っていなかった。

映画を観る。どうせ作り物だろ、くだらない。音楽を聞く。ラブソングだ、世界を変えたいだ。そんなものは糞食らえだ。誰かが悲しんでいる。自分で立ち上がれよ。誰かが助けてくれるだなんて、世の中はそんなに甘くないぞ。そのくせ人に嫌われることを人一倍恐れていた。人の目を気にして、八方美人、誰もないところで、何をやっているんだろうと、好きだったはずの自分が嫌いになっていく。

周りが遊んでいる間もずっと働き続ける生活。親からの支援が当たり前の生活がしたいのに、生活費は自分で稼ぐ必要がある。もちろん家にもお金を入れなければならない。同世代で自力で生きている人などいなかった。その事実がさらに地獄を引き連れてくる。同じ悩みを持つ同世代の人がいれば、拗らせた人間にならなかったかもしれない。

苦労して稼いだお金が一瞬で溶ける生活で残るのは虚しさだけだ。働けば働くほどに自分ではなく、別の誰かが喜ぶ。減り続ける通帳残高と比例して、人生への絶望感が高まっていく。お金がなさすぎて、地元のパン屋に食パンの耳をもらいに行ったこともあるし、友達の家でご飯を食べさせてもらったこともある。

いつしかなんのために働いているのかすらもわからなくなっていた。でも、きっと泣いても状況は変わらない。ただひとつそれだけはわかっていた。泣いて誰かが助けてくれる世界は、ドラマや映画の世界だけ。だったら状況を変えるために動くしかないと思って、最悪の状態から抜け出すために、必死で働き続けた。それでも状況は変わることなく、悪化していくばかりだ。

生きる意味は?死んだ方が楽?もうどうにでもなれ。自分の思いを紙に書き溜める。それでも気持ちは楽にならない。どうして自分ばっかりが口癖になって、手を差し伸べてくれるすべての人が敵に思えた。たとえ手を差し伸べてもらったとしても、最悪の状況は変わらない。ドラマ『家なき子』で「同情するなら金をくれ」と言った主人公の気持ちが痛いほどにわかる。同情では誰も救われない。必要なのは金だ。同情なんて死んでもされたくない。

高校生の頃から自分が稼いだお金で生きる生活は、ドラマの中の世界だけであってほしかった。どれだけほっぺたをつねっても夢にはならない。朝目が覚めても状況は変わらず、厳しい現実を突きつけられるだけ。自分は誰の力も借りずに生きなければならない。この世はなんて生きにくい世界なのだろうか。こんなクソみたいな人生なら生まれてこなければよかった。死にたいと思って、何度も川が流れる橋の上に行ったのだけれど、死ぬ勇気などない。生きる選択しか選べない自分が死ぬほど憎かった。

涙は完全に枯れた。涙などクソほどにも役に立たない。泣いて、誰かに弱みを見せることは負けに等しいとすら思っていた。大学生になっても、状況は変わらない。20歳になって何も変わらなかったらもう死のうと決めていたはずのに、またしても自死を選べない。生きたいばかりが勝って、死にたいがいつも負ける。また生き永らえてしまった。

学生時代に苦労したからこそ、大人になったときに苦労したくないと思った就職活動。まわりとの違いを見せつけるために、説明会ではストライプのスーツを見に纏い、1番前に座って1番に質問した。

就職活動をしていたある日に、母の容体が急変する。病院から電話を受け、朝の4時に病院に駆けつけた。どれだけ辛くとも頑張れた理由は、母のためだった。母の病気が治るならば、自分の体をどれだけ削ってもいい。そう思って頑張っていたのに、母が癌で亡くなった。それがきっかけで張り詰めていた糸が切れたのか、目から勝手に涙が流れているではないか。何度も止まれと願っても、止まらず、病床で泣き喚いた。

母の死が枯れていたはずの涙が元に戻ったきっかけだ。弱虫だったあの頃に逆戻りである。ドラマは最終回しか観ていないのに泣けるし。家族がテーマの作品の場合はなおさらだ。ずっと涙が枯れていた反動で、簡単に泣いてしまうようになったのかもしれない。母の死は失った感受性は取り戻せると知った瞬間でもあった。

あれほど泣くことを嫌っていたのに、いまは些細なことで泣ける人で良かったと思えるようになった。感受性の豊かさは、起きた出来事を深く味わえるにつながる。酸いも甘いも人生だ。地獄のような日々を乗り越えた過去の自分に拍手を送りたいし、願わくばお前のおかげで今は楽しく生きているよと伝えたい。

死にたいと願ったあの日を生き延びて良かった。辛いことのあとには幸せがやってくる。その言葉を信じられたのは、今を幸せに生きているからだ。

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