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生きる理由なんて仕事終わりに酒を飲みたいぐらいでいい
先日、「生きる意味」について、業務委託で入っている会社の人たちと話し合った。生きているとふとした瞬間に生きている意味がわからなくなるときがある。そういうときは睡眠不足が原因の場合が多い。
たとえば、友達関係がうまくいかず孤独を感じるときは、何やってもダメだなぁと自暴自棄になる。仕事で行き詰まったときは、いつも何も考えたくなる。この苦しみから一生抜け出せないのではないかと不安になって、うまく夜も眠れない。いつも120点を目指してはいるのだけれど、文章を書いて消しての繰り返しで、100点を取ることすらもできない。真っ赤に染まった原稿を見て、己の力不足に落胆する。負けてたまるかと息巻いた心も徐々に蝕まれて、仕事はおろか生きる意味すらもわからなくなった。他人から賞賛されるために生きているわけではない。でも、誰かの評価が仕事ではなく、生きる意味を見失うきっかけになるのも事実だ。
とある人が「生きる意味はないよ」と言っていた。果たしてそうなのだろうかと自分の中の悪魔が耳元で囁く、一方で、そうだ。生きる意味に囚われると大事なものが見えなくなるぞと天使が囁く。どちらを信じるかは自分次第で、それは心のコンディションによって異なるのだろう。生きる意味があると信じるのはいいことだけれど、そこに囚われすぎると、気づかないうちに目の前にある大切なものを失っていく。終わった後に後悔して、戻らないものは戻らないと前を向くためにかなりの時間を要する。どれだけの時間を無駄にしてきたのだろうか。葛藤した時間は無駄ではないと意見もあるけれど、もっとうまくやれたという願望はずっと拭えないままだ。
生きる意味とはなんだ。30年生きてきた結論としては、それは他人から与えられるものではないということ。あるかどうかはわからないけれど、自分の手で見つけ出さなきゃ意味がない。その数が多ければ多いほどに、まだ生きていたいと思えるのだろう。
生きる意味なんて、毎日を目一杯やり切って、くたくたになった体でふかふかのベッドで寝たいとか、仕事終わりに飲むお酒の美味しさを何度も味わいたいとかその程度のものでいいような気がする。あまりにも些細すぎて、社会は変えられないかもしれないけれど、やりたいことを増やすことは生きる糧になるものだ。そして、それが自分の人生を変えるきっかけとなる可能性もあるから、これから先も生きる意味を増やせる人生にしていきたい。
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