SNSは別に有益な情報ばっかじゃなくていいじゃん
SNSとの出会いは、高校生のときだった。当時は、その日の暮らしをただ切り取るだけのただの自己満足に過ぎなかった。その程度の運用が楽だったし、フォロワーさんを増やしたいなんて、頭を過ぎったことすらない。
でも、SNS運営を本気ではじめた当初、有益な情報を発信しなければならないと勝手に勘違いをするようになった。
フォロワーさんが多い人は、有益な情報ばかりつぶやいている。それも事実だけれど、その手法がじぶんに合うかどうかなんて考えなかった。真似をすれば伸びるかもしれないけれど、背伸びをし続けるのは疲れる。
そして、生活の中で有益な情報を得ようと、常にアンテナを張る毎日。これはいいなと思った情報をつぶやき、順調にフォロワーさんが増えた。「真似をすれば伸びる」は、確かに本当だったけれど、同時にじぶんの中のなにかが徐々に欠落している感覚も手に入れた。
世間の情報に流され、有益な情報をつぶやくために消耗する日々。フォロワーさんが増える一方で、「この人たちがじぶんから離れたらどうしよう」と不安になる時間も増えた。
嬉しいような複雑な気分で、SNSを運営し、ああでもないこうでもないと言いながら、有益な情報の発信に勤しむ。そんな毎日に疲れ、「本来のSNSの使い方ってこんな感じだっけ?」と疑問に思うようになった。
どうすれば楽にSNSを運用できるか考えた結果、「過去に答えがある」と結論が出た。
いま思い返せば、過去はフォロワーさんを増やしたいなんて思考は一切なかったような気がする。その証拠に学生時代は。くだらないつぶやきしかしていない。サッカーの試合のときは、リアルタイムで実況をつぶやいていたし、バイト終わりには「ああ、今日もバイト疲れた」的な日常を切り取るつぶやきばかり。でも、くだらないつぶやきでも、ちゃんと見てくれる人はいたし、仲良しになった人もいた。
「ああ、このまま消耗するぐらいなら日常生活をそのまま切り取ったつぶやきでもしてみようかな」
そう考えた途端に、SNSの運用がはるかに楽になった。そして、それと同時にフォロワーさんも減っていく。いままでじぶんをフォローしてくれていた人は、じぶんではなく、情報を得るために、フォローしてくれていたんだなと少し悲しくなったけれど、いまでもずっと仲良くしてくれている人がいるのも事実だ。
そして、いろんな人に出会うたびに、「SNSには本当に有益な情報は落ちていない」という事実に気づいた。本当に有益な情報は人は簡単に人に話したくないものだ。SNSに載せている情報は、有益な情報の切れ端程度のものにすぎない。
もし本当に有益な情報を手に入れたいのであれば、書籍や論文を読んだほうが効率よく手に入るのだ。書籍や論文には嘘を書けない。もしも嘘を書くと、著者だけでなく、出版社も信用がなくなってしまう。だから、書籍や論文は事実チェックをきちんと行なった上で、販売、公開されている。
SNSを本気で運用するのであれば、有益な情報を発信したほうが増えやすいのかもしれない。でも、それが苦痛だと感じるのであれば、じぶんの好きなようにつぶやけばいい。
じぶんの好きなようにつぶやいても、好きになってくれる人もいる。好きになってくれた人は、情報ではなく、その人自身を見てくれているのだ。仕事に繋がったこともなんどもある。
でも、それはSNSの情報発信を頑張ったからではなく、現実世界で結果を残したからにすぎない。SNSで実績を残したとしても、現実社会でなんの実績もなければ、人は簡単に離れていってしまう。
なんのためにSNSを運用するのか。
お仕事のため、プライベートのため、理由はなんだっていいけれど、あまり消耗しすぎないようにね。