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32歳フリーランス、キラキラとは程遠い毎日を過ごす

フリーランスになってから、ぼくの一日は流動的になった。週3日は会社で働いているため、会社員的な日常を過ごせている。けれど、リモートワークのため、あまり会社で働いているという感覚はない。

会社の仕事が休みのときは、午前中に原稿を書こうと決めていても、なぜか洗濯機を回してしまう。回してしまったのだから仕方がない、と洗濯物を干し、それからコーヒーを淹れ、ついでにパンを焼く。パンが焼けるのを待つあいだ、パソコンを開いて誰かから連絡が来ていないかを確認する。そのあとは、コーヒーと焼きたてのパンを食べてから、「さあ、原稿を書こう」と思うのだが、突然別の仕事が降りかかり、その対応をしている間に昼を過ぎている。

フリーランスの仕事は「自由」な印象を持たれがちだけれど、自由とはすなわち、すべての時間を自分で決めなければならないということだ。それは案外、息苦しいもので、何もかもを決められていたあの頃の方が少しだけ楽だった。会社にいたころは「会議だから」「上司に呼ばれたから」という理由で、なんとなく時間が区切られていた。フリーランスになると、その「なんとなく」がすっかりなくなってしまい、自分で自分を律するか、もしくは、堕落の道をまっしぐらに進むかの二択になる。

フリーランスは、自分に打ち勝つことでしか、活路を開けない。一度行動をやめた途端に、すべての仕事が消え去ってしまう。収入は不安定で、精神的に病んでしまうときもある。その状況に陥っても、誰にも助けての一言が言えない。昔から変えたいと思っているこの性格は32歳になっても変わらないままだ。周りから見た自分はキラキラしていると思われているかもしれないけれど、全然そんなことはなくて、むしろ生き延びるために必死にもがき続けている。

朝のうちに原稿を書き上げ、昼からは散歩をしたり、本を読んだり、映画を観たりして過ごす——そんな生活を思い描いていたはずなのに、現実はなかなかそううまくはいかない。仕事に追われているうちに、あっという間に1日が終わる。

絶望と希望を行ったり来たり。納期に間に合わせるのに必死で余裕なんて1mmもない。徹夜で作業をし、翌日はぐったりと疲れて眠りこける。規則正しい生活からはほど遠い。かつて、オフィスで働いていたときには「フリーランスは優雅でいいな」と思っていたが、いざその立場になってみると、優雅どころか生活はむしろ雑然とし、労働時間はかえって増えた気さえする。

それでも、フリーランスという肩書きを名乗ると、人はなぜか目を輝かせる。「すごいですね」「かっこいい」「自由でいいなあ」と言われることも多いけれど、言いたいことを飲み込んでエヘヘと薄ら笑いを浮かべるしかない。たしかに、好きなときに好きな場所で仕事ができるのはフリーランスの特権かもしれない。けれど、それは同時に、際限なく働いてしまう危険とも隣り合わせだ。決まった勤務時間がないぶん、「ここまでやったら今日はおしまい」と決めるのが難しい。気づけば夜中になり、暗い部屋でひとり、パソコンの青白い光に照らされながら作業をしている。そんなとき、「自由とは、こんなにも孤独なのか」と思う。

会社員だったころは、毎日のように「満員電車がつらい」とぼやいていた。それなのに、いまでは通勤というルーティンさえ、ほんの少し恋しく思えることがある。朝、オフィスに着いたらまず同僚と挨拶を交わし、昼休みには「何を食べる?」と話し合い、仕事が終われば「おつかれさま」と声をかけあう。そういった些細なやりとりが、日々をやわらかく区切ってくれていたのだと、フリーランスになって初めて気がついた。

もちろん、後悔しているわけではない。自分の好きな仕事を選び、好きなように働けるのは、とても幸せなことだ。ただ、フリーランスという働き方には「キラキラ」としたイメージばかりが先行しているように思う。実際には、不安定で、孤独で、そしてときに息苦しいものでもある。

そんなことを考えながら、ぼくはまた、パソコンを開いて、キーボードを叩く。もしかしたら、キラキラの「キ」の一文字もない毎日は無味無臭に移るかもしれない。仕事に追われ、少しずつ感性が鈍っていく音がする。そ雨感じたときは、外に出る機会を作るしかない。たまに息抜きしながら、何ら変わらない日常をやり過ごす。その繰り返しの中で、一縷の希望を見出せたらいい。

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サトウリョウタ@毎日更新の人
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