全員に好かれなくてもいい
最近嫌われたくないなぁって自分を押し殺してることないかい?
あなたは本音で生きれてるかい?
「本音で生きろ」と言われても、簡単に本音では生きれないという人はほんとに多いと思うの。
「本音で生きた方が生きやすい」って、誰しもが頭の中で理解しているはずで、それでもできないのは、社会と共に生きているからだと思う。
社会と共に生きているから、本音で生きることができない人が多い。
僕はそんな社会に中指立てながら、「本音」でわがままに今日も生きている。だから嫌われてしまうこともあるからそれは仕方のないこと。
仕方ないことも仕方あることにして欲しいんだけど、そんなに世間は甘かない。
本音で生きると嫌われることが多い。でも本音で生きなくても、嫌われてしまうことがあるということに気づいてしまった。
僕はよく嫌われるのが怖いと思うことがある。
誰だって嫌われるのが怖い。わがままに生きていたら嫌われることは多いけど、それでも嫌われるのはやっぱり辛いし、いつまでたっても慣れないよ。
嫌われてなんとも思わないのは自分が嫌いな人だけ。嫌いな人に嫌われたとしても「やっぱりかぁ」ぐらいの気持ちでいることができる。
好きな人から嫌われるのはすんごく悲しいし、できることなら嫌われたくないなって思う。
僕は自分の人生を生きたいから、自分を押し殺さないために、自分の思うことを全面的に押し通すことがある。
なんてわがままで横暴なやつなんだろうか。自分でわかってるからこれ以上は責めないでね。
でも時には大人になって、自分を押し殺すことがもちろんある。
大人になるとどこかで妥協することが必要だよね。だけども僕はその妥協点をなるべく下げたくないと思っている。
妥協するのはとにかく簡単。でも妥協点を上げるのは難しい。
妥協のハードルを上げることは難しいけど、基準を高めたことによって、物事を達成した時に、喜んでくれる人が多いというのも確か。
妥協点を高く設定することは、達成した時に自分が嬉しい時もあるし、誰かの役に立てる時もある。
誰かのために、そして自分のためにも僕は妥協点を高くしていたい。
妥協点を上げて、誰かのために嫌われるのなら仕方ないと思うし、僕は妥協を簡単に許してしまっている自分を嫌いになるのが一番嫌だ。
僕は誰かに嫌われたらめちゃくちゃへこむし、1人で反省会をすることもある。
反省したところで、また同じようなことをしてしまうことがあるから、その度に自分に失望したりなんかもするの。
そしてまたへろりと生き返って日常に戻るの繰り返し。
「全員から好かれる」なんて到底無理な話なのに、大概の人が誰かに嫌われることを恐れてる。
恐れたところで、嫌われちゃう時は、嫌われてしまうから、そこんところは自分でコントロールできない。
いつどのタイミングで嫌いになられるかもわからないしね。
コントロールできないものは流れに身を委ねるしかないよ。
だけど好きでいてくれる人を好きでいる努力なら誰でもできる。
コントロールできない所に目を向けるよりも、自分がコントロールできる部分に着目しよう。
僕自身だって好きだと思っていた人が、急に嫌いになることもあるし、気分で好きに戻ることだってある。
自分次第で相手を好きにも嫌いにもなれるから、できるだけ嫌いにならないよう努力している。
相手のいいところを見るようにして、加点方式で相手と向き合うようにしてるの。減点方式よりも加点方式の方が幸福感高いよ。
こんなことをやっている人間は、ほんとめんどくさいなと思いながら今日も生きている。
そういえば、何をやっても嫌いになってくる人と、何をやっても好きでいてくれる人がいるみたいだね。
何をやっても嫌われないからといって、無茶難題を押し付けるのはダメだと思う。
でも好きでいてくれる人がいることは間違いなく幸せなこと。
嫌われるのは仕方ないことで、もうこれは受け入れて生きていくしかない。
嫌われたら「残念」と心の中で言い聞かせて、涙を流しながらも前に進む。
自分のことを好きでいてくれる人を大切にできているならそれでいいんだよ。
いや、みんなのことを大切にしなくちゃダメなんだけど、そんなものは到底無理だから、やっぱり目の前の人を大切にできたらそれでいいや。
誰かに好かれたいのであれば、誰かに嫌われることを恐れないこと。
誰にも嫌われないということはきっと、誰からも好かれないことに等しい。
最後にもう一度。
自分のことを押し殺してないかい?
本音で生きることができていますか?