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難病になって、2年がたった

2019年9月24日に難病になって、今日で2年がたった。もう2年もたったんだって気持ちと、まだ2年なのかよって気持ちが、自分の中に同時に混在している。あっという間に過ぎ去った2年間。いいこともあれば、辛いこともたくさん起きて、一筋縄ではいかなかったことは事実である。

2年前のあの日、当時の担当医から「あなたの病名はベーチェット病です」と言われたことは、いまでも鮮明に覚えている。暗い診察室の中で、冷静に辛辣な顔で話す担当医。無言でPCに文字を打ち続ける看護助手。頭の中が真っ白になり、難病に罹った事実を受け入れられずにいた自分自身。

ベーチェット病と言えば、EXILEのMATSUさんが罹り、テレビに取り上げられて少しだけ話題になった。その当時は「難病って大変なんだろうな」と、他人事でしかなかったし、まさか自分が当事者になるなんて想像すらもしていない。難病なんて映画やドラマの中の話。自分が罹るわけがない。なんどもそう思ったけれど、その現実が覆るわけなんてなかったし、なんども枕を涙で濡らし、なんども自分の運命を恨んだ。

闘病生活が始まったけれど、一人の生活すらままならなかったため、当時お付き合いをしていた恋人が毎日のように家に来て、介護をしてくれた。1番きつい時期に一緒にいてくれた元恋人には、本当に頭が上がらないぐらい感謝をしている。両目が見えない生活は不便そのもの。外に出ることもできなければ、家事を完遂させることもできない。一人で何もできないそんな自分が情けなかった。でも、いろんな人の支えのおかげで、なんとか社会復帰ができるようになったので、このご恩をいつか返したいと思っている。

たくさんの人に支えられてきた2年間。たくさんの人に支えられてきたからこそ、難病になった事実を受け入れることができた。でも、最初からすんなり受け入られたわけではない。最初は自分が難病に罹ったなんて嘘だろうと思ってたし、目が見えるようになれば、「実は難病ではなかったんです」と担当医が言ってくれるにちがいない。それを笑って許すシーンを、脳内でなんども想像していた。ところが、目が見えるようになるどころか、徐々に見えなくなっていく始末。いつまでたっても理想が現実になることはなかった。

難病を受け入れられたのは、難病に罹って1年半もたってからだ。いま思えばなんと情けない男なんだろうと思うときもあれば、難病を受け入れた自分を誇りに思うときがある。難病に罹ってから丸2年。いまでは左目で文字が読めなくなった。右目は白内障の影響で、視野が半分ほどない。目の注射をなんども行い、白内障の手術もした。そして、いまは月に2回、自宅で皮膚注射を自分で打っている。それでも幸せに生きているのは、きっと周りの人のおかげであり、自分の力で乗り越えてきた証明でもあるんだろう。

とはいえ、周りから見れば健常者のように見えてしまう。ここにもどかしさを感じていた時期もあったけれど、全員に理解してもらうなんて無理だ。大切な人が知ってくれさえすればそれでいい。変に気を使わせるのもなんだか違うような気もするし、楽しそうに生きている自分だけを知ってもらいたいって気持ちもある。

僕がいま頑張っている理由は、当事者の人に少しでも勇気を与えたいからなんだと思う。左目が見えなくたって、右目の視野が半分なくなったってここまでめげることなく、生きているって知ってもらいたいんだろう。これからも文章を書き続ける。酸いも甘いも隠すことなく、書いていきたい。

たくさんの人の励ましの言葉で、ここまでやってきた。その事実は変わらないけど、本当の意味で当事者の気持ち理解できるのは、当事者しかいない。これは当事者である僕自身が、何度も実感した本音である。

そして、健常者の方も人生にときに絶望するときもあるだろう。そんなときに僕の文章を読んで、「難病になっても頑張っている人がいる」と少しでも背中を押せる文章を今後も書いていきたい。

難病になってもならなくても、この先も人生は続く。過去は変えられないし、ないものねだりをしても何も手に入らない。それなら過去をうまく利用して、いま目の前にあるもので勝負する人生にした方が、きっと自分らしく生きられる。そう信じて、難病とうまく付き合いながらこれから先の人生もちゃんと生きていこう。

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