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美の追求をやめたくない

自分だけの美を追求したいと、20代前半はずっとそう考えていた。好きなものを書いて生活をする。その理想がもしも叶ったらどれほど幸せだろうか。

表現とは自己満足の連続である。美にこだわりを持てなくなったら負けだと思っている反面、クライアントワークにおいては世間が求めるものでなければ、存在すらもなかったことになる。どちらが正しいとかそういった問題ではなく、自身がどちらの道を歩むのかを好きに選べばいいだけの話だ。

いつしか自分が書きたい文章ではなく、世間が求める文章ばかり書くようになっていた。ライターになった当初、読者が求める文章ではなく、好き勝手書いた文章を読んだ編集者さんが「サトウさんの文章は独りよがりになっています。構成はこのままで読者が求めている内容に変更してください。このままでは掲載できません」と言った。

編集者の意見は、至極真っ当である。書きたいものを書きたいのであれば、自分のブログを開設してそこに思う存分書けばいい。綺麗な言葉遣いだとか、難しい言葉を使いたいだとか、そういったエゴは、読者のためにはならない。メディアには必ず読者がいて、読みやすくて得たい情報が手に入る文章。為になるだとか、自分が読みたい気分に合わせた文章を読者は求めている。

何も言い返す言葉がなく、読者が求めていそうな文章を書いた。「これならいけそうです」と掲載された文章はそれなりに読んでもらえた。そこに自分がいなくとも、求められている文章ならば、読み物としてきちんと成立する。それを肌で感じた瞬間だった。

好きなものを好きなだけ書く。期待に胸を震わせていたあの頃の自分はいつの間にかどこかに行った。何が求められて、どんな表現だったら受け入れられて、どうすれば誰かの心を動かせるのだろうか。自分を押し殺して、求められるものを作る。その行為が楽しいと思える日があれば、なんのために文章を書いているのがわからなくなる日だってある。

求められる文章を書き続ける日々。書いた文章が求められている文章なのかどうかは蓋を開けてみなければわからない。予想が見当違いの場合もあったし、世間のトレンドの兼ね合いによって読まれるかどうかも変わる。市場はいつだって生き物のため、市場を読む力が常に求められる。世間に求められる文章を書くことは本当に難しい。

編集者になってからも同じだった。どうやったらクリックされるのか。市場調査や読まれやすいタイトルの研究、広告のABテスト、この表現は読者が嫌がる、文体をもっとエモテイストにしよう、この媒体は固い文体に変えようなど、世間から求められるものを作ることに試行錯誤をし続けた。

ある日、絵描きの友人と話す機会があった。おしゃれなカフェでアイスコーヒーを啜りながら仕事や生活、たくさんの会話を楽しんだ。デザインとアートの話になったときに、友人が「デザインは世間が求めているるものを作らなければならないけれど、アートは自由だ。どちらを選ぶかはその人次第だけれど、僕はアートで飯を食っていきたい」と言っていた。自分の美を追求し続ける友人はアートでどんどん結果を出している。

自らの美が世間の求めるものと、たまたま一致していただけなのかもしれない。彼がもしもデザインの道に進んでいたらどうなっていたかはわからないけれど、デザインとアートのどちらでもきっと結果を出していたんだろう。

美を追求し続ける友人の話を聞いた途端に、彼の生き方が急激に羨ましくなった。自らの美を追求している人の目の輝きは尋常じゃない。目にクマを作って、世間が求めているであろうものを作り続けている僕とは大違いである。悔しさと負けず嫌いが芽生えたその瞬間に、美を追求するためだけにnoteを開設した。

エッセイや小説など、とにかくいろんな文章を書いた。クライアントワークで押し殺している自分をとことんまでに出して、世間の評判など気にしないと、創作をただ楽しんだ。一度読んで簡単に理解できるものはつまらない。何度も読み返して、ようやく物語で伝えたいことが理解できる。あえて難しい言葉を使って、とにかく読者の頭を使わせることだけを選び続けてきた。

美の追求がこれほどまでに楽しいのかと実感したのは、書いた小説が初めてnoteの注目記事に選ばれたことだ。毎日更新を継続する中で、その後も何度も選んでもらえた。1000日近く毎日書き続けているため、打席に立っている回数を考えると、数回の選出では打率が抜群に悪い。でも、自らの美を追求したものが世間に認められたあの瞬間は、胸にグッとくるものがあった。

「書きたいものを書いてもいい。美の追求が世間が求めるものになる場合だってある」

この事実ががんじがらめになっていた心を解きほぐした。今までどんよりしていた心のもやが綺麗に晴れて、自由を手に入れた気がした。自分の好きなように書いてもいいと思えたこの経験が「文章を書くって楽しい」に繋がっている。創作に意欲的になれたし、いろんな方が書いた創作をもっと読んでみたいと思うようになった。

自らの美を追求するnote。世間が求めるものを作り続けるクライアントワーク。片方で結果を出せるようになれば、相乗効果でもう片方も結果が出る。これは経験則で得た知見である。

自身が生まれつき備えていた美を再発見する努力をしながら後天的に芽生える美を見つけたい。そして、世界中のありとあらゆる美をこれからも果敢に見つけにいく。文章で言えば、もちろん世間が求める文章を今後も書いていきたい。でも自分の心を守るために、せめてnoteだけは自らの美を追求し続けようと思う。


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サトウリョウタ@毎日更新の人
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