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答えのない問いを繰り返しながら
時刻は23時を迎えた。1人暮らしの部屋は。テレビや音楽がなかったら1人の生活音しか聞こえない。たった1つの生活音を嬉しく思うときもあれば、もの寂しく思うときもある。
夜はまだ少し涼しいから窓の隙間から入ってくる風を、部屋に取り入れるために窓を開けていることが多い。外から入ってくる風と殺伐とした風景をベランダから眺めていると、信号が赤から青に変わるたびに通る車。あの車はこれからどこへ向かうんだろうか。家に帰るのか。それとも誰かに会いに行くのか。答えなんてわからないけれど、車が通り過ぎるそのたびに、答えのない問いが頭を駆け巡る。
窓の外からは街灯が見えていて、人工的に照らされた街を見る時間が好きだ。人工的な光は自分を肯定してくれているような気がするし、ときに癒しを運んでくる。
明日は友人の結婚式の出席を控えているからもう寝たほうがいいのかもしれない。独立してからできた友人の結婚式に出席するのは初めてだ。招いてもらったその事実がすごく嬉しいし、2人の幸せそうな姿を見たらきっと泣いてしまうんだろうなと思っている。
でもせっかくの土曜日だし、夜更かしをしたい気持ちもある。土曜日の夜が好きだ。土曜日の夜はいつだって日曜日を連れてくる。僕はフリーランスだから決まった定休日を自分で決められるんだけれど、日曜日を定休日にしているから基本的に仕事をしない。だから、夜更かししても許されるし、次の日に支障をきたしたっていい。
深夜は自分の心を丸裸にされているような気がする。思考を巡らせるのはいつだって深夜だし、「生きている意味」みたいな答えのない問いをしてしまうのも深夜だ。深夜はありのままでいいと思わされてしまうし、悩んでいる自分を見て、「ああ、生きてるな」と思ってしまう。
涙を流しても誰にも見られないし、深夜がすべてなかったことにしてくれる。悲しいことは深夜に悲しめばいいし、嬉しいことも深夜に噛み締めればいい。深夜の魔物に取り憑かれ、深夜の魔物に救われるそんな土曜日。あと少ししたらみんなが眠りにつく時間だ。みんなが寝ている時間に起きていることは悪いことをしているような気もするし、少しだけ得をしているようなそんな気分になる。
この文章にオチなんてないのだろう。落とし所が見つからないし、どうやってこの文章を終わらせようかと考えながら文章を書いている。答えのない答えをずっと探してながらもがくその様は滑稽なのだろうか。それすらもわからないし、わかってしまったら面白みが欠けてしまうはずだ。
朝と昼が巡れば、また夜がやってくる。そして、夜が少しずつ深くなって、深夜へと突入し、救われない人たちが今日もまた深夜に救われるのだろう。人間も朝昼晩と同じように堂々巡りを繰り返し、その日々の中で、幸せになったり、悲しくなったりして、生きている証とこのままでいいのかという不安と戦い続けているのだ。
答えのない問いを繰り返し、答えが見つからないと嘆くそんな人たちのために深夜は存在する。これからまた答えのない問いを繰り返す人を深夜は救ってしまうのだろう。深夜に救われ、また明日がはじまる。そして、また堂々巡りをして、ああでもない、こうでもないと嘆く。その繰り返しを人間はいいている。そんな姿を見るたびに、生きるってこういうことだよなと思ってしまうそんな自分に乾杯を。
すべての悩める人が今日もまた深夜に救われますように。
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