アンマッチングアプリ
リモートワークの普及によって、誰とも会話しない日々が増えた。仕事の会話はチャットで完結するし、仕事終わりにどこかに出かける元気もない。誰とも話さない1日もあるし、コンビニの店員さんとだけ話す日もある。ここまで誰とも話さない日が続くと、コンビニの店員さんとのやりとりさえも長続きさせてたくなるのだけれど、実際にその勇気は持ち合わせていない。
寂しいという感情を冬の寒さのせいにできるのはあとわずかで、春の訪れによって何のせいにしていいかがわからなる瞬間にずっと怯えている。適当にマッチングアプリでも始めようかとインストールしてみたものの、会うどころかメッセージすら長続きしない。画面上の異性をスワイプしているだけで、想像以上に時間が過ぎる。ひどいときはマッチングアプリと8時間以上睨めっこしていた。私が誰かを評価しているように、きっと誰かも私を評価している。こいつはないわ〜とか、ワンチャンありそうとか、きっとそういう目で見られているのだろう。
1ヶ月経って、出会った異性はたったの1人だけ。そいつが本当につまんなくて、会話のテンポもノリも合わないやつだった。でも、なぜかそばにいるだけで安心できるような不思議な感覚もあった。好きになるつもりは毛頭なかったし、きっと相手もそうだったにちがいない。出会った瞬間にないと思ったし、そのまま帰ってしまおうとも思ったのだけれど、それは流石に失礼だと思って、1軒だけ付き合うことにした。
その男は商社で営業をしているらしい。どこどこの会社と取引があるとか、自分の手柄でもないくせにあたかも自分が偉大な人物かと錯覚している痛いやつだ。勘違いはいきすぎると痛いやつと化す。そこから突き抜ける人はほとんどいなくて、目の前にいる彼も会社という看板に守られているやつだった。くだらないと思いはするものの、なぜか安心感だけは備えている。いわば不思議な感覚に包まれる。自分でもこれがなんなのかはわからない。あまりにも人との接触がなさすぎて、耐性がなくなっているのかも。そうだ。きっとそうにちがいない。
外見やメッセージでは、その人の内面までがわからなくて、人を見る目がなくなったと自分に引け目を感じる。1軒目で飲んだハイボールがあまりにも薄すぎて、酔うに酔えない。誰でもいいから酔いに任せてと思っていたのだけれど、それすらも叶わなくて。うまくいかないなぁなんて言いながら、公園で1人缶のレモンサワーを飲む。
家に帰ってすぐにマッチングアプリを削除した。自分に見る目がないのか、相手への見せ方が下手なのかはわからない。寂しさの乗り越え方は自分しかわからなくて。でもその方法はまだ目の前には存在しないのも事実だ。もう少し誰かと接触する機会があれば、何かが変わるかもしれない。なんて、たらればの話ではなく、現実を見た方が生産的なのだけれど、寒さを寂しさの原因にできるうちは、もうそのままでいいやと思えたとある深夜をお知らせします。